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河村瑞賢 エピソード その二と三 《解答編》

お待たせしました。

昨日の《出題編》の解答です。

《出題編》をお読みでない方は、是非昨日の記事を先にお読みください。

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さて、一問目の解答です。

芝増上寺の巨大な鐘の位置を修正する方法です。

普通は石や土を盛るというふうに考えますよね。

工事の方法は合っているのですが、問題はその材料なんです。

大きな石を移動するのも大変ですし、一度完成してしまった鐘楼を土まみれにするのも

スマートではありませんね。工事後の始末も大変そうです。

そこで河村瑞賢が使ったものとは!?



『米俵』です。

使用人を近隣の米問屋にやって、米俵に入った米を大量に買って来させました。

それを鐘の下から積み上げて行き、鐘の下までくると、それを土台に人足を使って

少しづつ持ち上げていったのです。

これだけでは、皆さん???ですよね。 石を米に変えただけ?ですよね。

確かに米なら近くの米蔵にあるでしょうが石より高価でしょうし、何がメリットなのかわからない

ですよね。

ところが、ここからが瑞賢の知恵。

工事が終わったら米屋を呼んで、引き取り料を払って引き取らせたのです。

今でいう『返品手数料』ですね。 

米は江戸に全国から集まり蔵にたくさんありますし、すでに俵に入って扱いやすい。

積み上げるのも簡単です。

そして、一見高価な材料ですが返品手数料というテクニックを使えば、最終的には僅かな

コストしかかりません。 後片付けも非常に簡単。

すごいアイデアだと思いませんか?

当時、一般に『返品手数料』という考え方があったのかなあ?

瑞賢のオリジナルアイデアだったのでしょうかね。


ちょうど同じ頃、三越の創業者の三井高利は日本で初めて『正札販売』を始めたり、雨の日に

三越のロゴ入り傘を客に貸し出し日本最初の広告宣伝をしたりと、新たな商売の試みを始めて

いた時代です。

瑞賢の住まいは現在の新川あたり、三越の日本橋とは目と鼻の先。

この時代の江戸の商人たちは自由で柔軟な発想で切磋琢磨し、あらたな商いを次々に考案

していた姿が瑞々しく想像されますね。 

江戸初期はまさに近代日本経済の創世記ですね。

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一問目が長くなりました。

二問目の上野寛永寺の鬼瓦の破損工事の方法の解答です。

問題は、足場を組まずにどうやって人足と瓦を屋根の上のあげたかということです。

要は、屋根の上からロープ一本を垂らせればいいのですよね。

瑞賢が使ったのは『凧』でした。

この工事がちょうど東風が吹く春だったということも瑞賢には幸いだったようです。

以下、古田良一著の『河村瑞賢』の記載を転記します。

『東風が吹くのを待って、凧を飛ばせ棟を超えて堂の後方に堕ちさせ、糸が堂の棟にまたがる

ようにし、それに丈夫な綱をつなぎ、また太い綱二本を堂の前後の木の株にしばりつけるなど

して、縄梯子を作って修理した。』 

長内国俊氏は、瑞賢が必要な凧の糸の長さや縄梯子の高さを、ピタゴラスの定理を応用して

事前に算定していたのではないかと述べています。

また、季節による風の向きについても海運の経験から十分な知識を持っていたがゆえの

アイデアだったとも推測しています。


聞いてみるとどちらも頓知のような話で、後の時代の作り話ではないかと思ってしまいます。

しかし、これらの記録は江戸時代中期のの随筆集『翁草(おきなぐさ)』や江戸後期の歴史書

『野史(やし)』に残されており、講談などでの脚色による伝承ではないようです。


さてこの種明し、いかがでしたか?

のんべえはそのアイデアの単純明快さと近代性に軽い感動さえ感じました。




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by sakenihon | 2009-01-24 00:24 | 日本の歴史  

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