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江戸時代って時代劇とは違っていたような・・・

昨日の文章を書く途中で、『永井俊哉ドットコム』というサイトの中に「江戸時代の人口調整方法」

というレポートを見つけました。

なかなか面白い分析だと思います。

江戸時代の庶民は勝手な移動が厳しく規制されていたというイメージを持っていましたが、

江戸は地方からの出稼ぎで支えられていた町であり、人の移動は活発だったようですね。

河村瑞賢も三井高利(三越創業者)も地方からの出稼者ですし、長子以外の移動規制は

緩かったのかもしれませんね。

地方からの転入者で活性化されている現代の東京とまったく同じですね。


口減らしも兼ねて地方から江戸へだされる次男、三男は薄給で休みなくこき使われ、大火や

疫病で大量に死亡者が出ることも多く、都市部での出生率は低く、平均寿命も地方よりも短か

かったということですが、現在の東京のサラリーマンと同じじゃないか!と感じましたよ。

(私も地方出身の東京のサラリーマンを永くやっておりましたので、胸に響くものがありました。)


それに対して、田舎に残って農業を担っていた長子の家族は『お伊勢参り』や『善光寺参り』

には3~4ヵ月も掛けてのんびりと旅を楽しむこともあったようですし、温泉での湯治なども

一か月単位で行われていたようです。

要は農民はしっかり年貢を納めることや、時々土木工事へかりだされることは強制されて

いたものの、それ以外は結構自由があったようですね。

大飢饉や特に貧しい地域、部落差別などはあったとしても、全体としての農民の生活は

それほど悲惨なものではなかったと、江戸時代の印象が変わりつつあります。


武士が浪人になり農民となってゆくこともあれば、河村瑞賢のように農民の出ながら

最後は御家人(旗本)になった者もいるのですから、士農工商の身分制度も決して固定化

したものではなかったのでしょう。 

そのアバウトさに日本らしさを感じます。


時代劇では全国どの町にも悪代官がいて、庶民は町や村に縛られ苦しめられるばかりという

決まったパターンばかりですが、実際はかなり違っていたのではないでしょうかね。


確かに『文明』はこの100年でとてつもなく発展しましたが、『生活の基本』のようなものは

現代もあまり変わっていないのかもしれませんね。

『文化』はあまり進歩してないのかも・・・・



今日はいったい何を言っているのかわからない文章となってしまいました。

『文化とは?』なんて考えながら・・・・そろそろ一献といきますか・・・・・・(笑)





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by sakenihon | 2009-02-01 19:26 | 日本の歴史  

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