河村瑞賢と新井白石
しかしながら、こんな江戸の初期の話がどうして今に伝わっているのか不思議です。
将軍家や大名家であるとか、河村家の土蔵の中に古文書が残っていたとか、でもない限り
正確なお話が400年間もどうやって伝わったのでしょう。
紀伊国屋文左衛門のように講談などの世界で残ったものは、かなりの脚色がなされており
史実とは乖離してしまいます。
だとすれば、瑞賢の功績も本当だったか?という疑問が湧いてきますよね?
『野史』『翁草』などの江戸時代の歴史書に、瑞賢についての記載が残っていたことは、
以前に書きましたが、それらが残されたのは時代がかなり下ってからです。
実はもっと新鮮に瑞賢の功績を残したのが『新井白石』なのです。
河村瑞賢を知らない人でも新井白石の名前を知らない人はいないでしょう。
江戸時代を代表する学者であり文人であり、さらに幕府のブレーンで幕府の政策をも左右した
人です。
新井白石は、瑞賢が大きな富を成した『明歴の大火』の翌日、その避難先で生まれ
たそうですから、瑞賢の奥羽海運改革の年には、まだ十三歳ほどの子供であったことになります。
その後、年代は未確認ですが白石は幕府の依頼で、瑞賢が行った奥羽海運改革に関する
記録を『奥羽海運記』として残しているのです。
この『奥羽海運記』によって、瑞賢の功績をある程度正確に読み解くことができます。
したがって、現在残っている河村瑞賢の記録はあながちデタラメではないようです。。
ついでに言えば、瑞賢は白石に経済的援助を行っていた、いわゆるパトロンでもあったようです。
瑞賢の孫娘(未亡人)と白石の縁談話もあったようですが、白石がやんわりと断ったという記録
も残っており、大変近い関係だったようです。
当然、瑞賢と白石は直接顔を合わせた仲で、同じ時代を生きているのですから、白石が残した
記録が絵空事とは思えません。(パトロンとしての多少の誇張はあるかもしれませんが)
それにしても、瑞賢は白石のことを『後に幕府を左右する人間になる』と読んでいたのでしょうか?
だとすると、そうゆうところからも瑞賢の『先を見る目』のようなものを感じてしまうのは
私だけでしょうか?
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by sakenihon | 2009-02-09 23:20 | 日本の歴史