酒蔵の起源を考えてみると・・・・
一時は一万軒を超えていたこともあったそうですが、
昨今は毎年数十件の蔵が廃業されているようです。
酒造の起源の話をすればヤマタノオロチの神代の時代まで遡ってしまいます。
そのあたりのお話はウィキペディアの【日本酒の歴史】にお任せしたいと思います。
現在残っている酒蔵の起源に限って考えて見ますと・・・・・・
① 大名お抱えの酒蔵
このグループが最も古くて、関ヶ原前後の創業となります。
前田利家公お抱えの金沢『やちや酒造』さん、山内一豊公お抱えの高知『司牡丹』さん、
まだ訪れてませんが米沢市の『小嶋総本店』さんなどがこのグループです。
② 庄屋さんが始めた酒蔵
こちらも江戸期創業の酒蔵となります。
年貢米以上にお米が確保できる米どころに多いと思います。
石川県津幡の『久世酒造店』さんや愛媛県の『石鎚酒造』さんがこのグループです。
③ 醤油・味噌の蔵からの転向した酒蔵
以前は醤油・味噌を主体に造っていたが、日本酒の需要の伸びや国策で日本酒造りへ
転向または集約した酒蔵さん。
愛媛県の『㈱八木酒造部』さんがそうでした。
④ 明治・大正期になっての新規酒蔵
なにしろ現在の税金であるお米を使ったものですから、江戸期までは酒蔵を勝手に始める
ことはできませんでした。
それが明治期になって『酒税』というものができると、政府が酒造りを振興する方向へ
変わったために、届け出さえすれば営業が始められることになり、酒蔵が急増しました。
といいましても、まだまだお米が余っていた時代ではありませんので、この時期に創業
できたのは江戸期の庄屋さんや廻船問屋さんだったと思います。
廻船問屋は明治になって物流の主役が廻船から鉄道に移行するに従って、転業したもの
と思われます。
1800軒の内の圧倒的多数がこのグループです。
日本酒の消費量が急増して得られた酒税が、日清・日露戦争の軍資金となったそうです。
⑤ 寺社が酒造を行う酒蔵
日本酒の起源を考えれば平安期くらいまでは、これが主体だったそうですが、
現存の酒蔵はないのでは?
例外的に清酒の発祥の地として知られる、奈良の『菩提山正暦寺』で残っていた酒母を
使った酒造りが奈良県内の酒蔵で行われ、正暦寺で販売されているそうです。
そのお酒の新酒を披露する清酒祭りがちょうど明日(1月10日)に行われます。
現存する最も古い酒蔵は?
銘柄としては神戸の『剣菱』が1500年には既にあったそうですので、500年以上の歴史が
あり、私が知る限りでは最も古いのですが、大正期までは所在地が伊丹だったそうで、
事業主も何回か変わっている可能性があり、酒蔵としてどれくらい古いかは不明です。
私が知る限りでは、やはり金沢の『やちや酒造』さんが創業の1583年以来、所在も全く
移動なく、現存する最古の酒蔵と思います。
(その前には尾張でも酒造りをしていた可能性あり。)
現存する最古の『蔵』は?
お正月のテレビで『はじめてのおつかい』という番組をやっていました。
ご覧になった方もおられるとおもいます。
その中で愛知県岡崎市の『八丁味噌屋』さんへのおつかいがあったのですが、
その味噌屋さん『まるや八丁味噌』さんの創業がなんと1337年とのことです。
670年以上の歴史をもったお蔵さんでした。
日本酒ではないものの、発酵食品として兄弟分です。
『蔵』としてはの本最古なのでは?と驚きました。
上には上があるものですねえ。
そばらしい日本の歴史ですね。
岡崎は徳川家康の出身地。
その意味からも大変感慨深いものがありませんでしょうか?

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by sakenihon | 2009-01-09 02:31 | 日本の歴史