江戸時代のお米の流通ってどうなっていたんだろう・・・
のんんべえは気になってしかたがありません。
殿様お抱えの酒蔵は十分なお米も手に入ったでしょう。
大きな庄屋さんの酒蔵も年貢米以外の余裕があったから、なんとかなったんでしょうね。
でもそれ以外の酒蔵って、どこからお米を買ってきたのか?という疑問があります。
しかし、残念ながらよくわかりません。
歴史の本なんかには領主とか偉い人のことは残っていますが、普通の人たちの生活とかは
載ってないんですよね~~~何かいい資料をご存じの方は教えてください。
ちなみに、 江戸時代には
蔵米、城米、作徳米という言葉があったことはわかりました。
蔵米= 年貢として各藩が集めたお米でのこと。一部は家臣の俸禄となり残りは換金されて
藩の財政の基盤となっていたもの。
大名お抱えの酒蔵はこの中からの割り当てもあったのかな?
城米= 幕府の天領で集められた年貢米。 江戸幕府の財政の基盤。
作徳米=収穫されたお米の内、年貢以外の余剰分。農家はこれを他の生活必需品と交換して
生活していたようで、実際に自分たちの口にはほとんど入らなかったようです。
一般には酒造りには作徳米を集めていたはずですが、詳しい流通経路は分かりません。
作徳米の量は豊作か飢饉かによって大きく変動し、飢饉のときには度々『禁酒令』が出され、
お酒の製造が禁止されていたそうです。
いづれにしましても、お米は江戸時代の最大の生産物であったことは間違いありません。
さらに生産地(稲作地帯)と消費地(人口が多い江戸・大阪などの都市部)は大きく隔たっており
それを移動する必要があったことも間違いありません。
その移動や流通がうまくいかないと、消費地の酒蔵のお米が入手できなかったはずです。
江戸時代には農林水産省もJAもなかったのに、だれがその調整を行っていたのか?
お酒づくりからスタートして、のんべえの疑問は膨れるばかりの今日この頃です。
もっと調べてみますが、だれかご存じの方がおられましたら、教えてください。

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by sakenihon | 2009-01-11 15:15 | 日本の歴史