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河村瑞賢 明歴の大火

上野寛永寺から離れて、河村瑞賢へ戻りたいと思います。

河村瑞賢が豪商としての富を築くきっかけになったのが1657年に発生した『明歴の大火』です。

『明歴の大火』は『振りそで火事』とも呼ばれ、一人の娘の失恋が元となったという話があります

が、発展著しい江戸の街の再開発のために計画された「点け火=放火」という説もあります。

いずれにしても現在の中央区、千代田区のほぼ全域を焼きつくす大火で、死者は十万八千人

と言われています。

このときには家康入府前からあった江戸城も焼け落ちてしまいます。

瑞賢が40歳の頃の出来事です。

1641年の寛永の大火の時には江戸に見切りをつけて上方へ向かおうとした瑞賢でしたが、

明歴の大火での対応は全く違っていました。

すでに普請方に認められ土木工事の現場監督のようなことをしていた経験から、大火の後の

材木の不足を予知します。

当時、一般の民家のための材木は関東近郊の木を使っていましたが、大名の屋敷などに

使う上質な材木は紀州産や木曽産が使われていました。

そのようなことにも瑞賢はすでに精通していたと思われます。

大火を見るや、我が屋敷も危ないというときに有りったけの金銭を携えて、夜に日をついで尾州・木曽へ

向い、可能な限りの材木を買う契約をしたといいます。

後に他の材木商が訪れたときにはすべて瑞賢が買い占めていたということです。

大火によって多くの屋敷が焼失したと同時に、江戸に蓄えられていた建築用の材木も多くが

焼けてしまいましたので、瑞賢はこれによって莫大な富を築いたといわれています。

また、購入した大量の材木を江戸に運ぶ際には船を使ったと思われますので、その経験が

後の海運改革でも大変に役立ったのではないでしょうか。

このエピソードは紀伊国屋文左衛門のものとして語られることもあるようですが、明歴の大火の

年には紀伊国屋文左衛門はまだ生まれていません。


これだけの話を聞くと、瑞賢は強欲で他人の不幸を利用して富を築いたように思えます。

しかし、瑞賢の人柄を示す記載が、古田良一著の『河村瑞賢』に記されていますので

引用します。

『瑞賢はまた他人が金儲けをすると、自分が儲けたように喜んで、その人を招いて宴を張った。

ある人がそれを不思議に思って尋ねたら、いま幕府や大名が持っている金は皆埋もれた金だ。

これを市中にばらまけば、人夫にいたるまでその利択を蒙る。そうなれば金銀が天下を馳駆する

ことになり、喜ばしい限りである。自分だけの利潤を楽しむようなことはしない、と言った。』
(以上『』内、古田良一著『河村瑞賢』15ページより引用)

これが本当ならば、現在の総理大臣を任せてもいいほどの経済観念を持っていたことになります。

ただの機智に富んだ商人ではないですよね。

この辺が、のんべえが瑞賢に惚れる部分なんですねえ・・・・・・


このようにして財を築いた瑞賢ですが、この私財をも費やして国家のインフラ整備となる事業を

次々に成功させることになります。

その話はまた明日以降につれづれに記載してまいりたいとおもいます。




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by sakenihon | 2009-01-30 05:38 | 日本の歴史  

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