成田山参り
私の家から成田山新勝寺までは車で20分とかかりません。
すぐ傍のイオン成田ショッピングセンターへは毎週の様に行くのですが、
新勝寺へは初詣に行くぐらい。 罰あたりです。
初詣の時には押すな押すなの大混雑で、裏門から入ってそそくさとお参りだけです。
新築された総門からゆっくりと参拝したというのは、実は初めてです。
このところ、このブログを始めてから江戸時代のなにやかやに興味が増しています。
人が少なく、ゆっくり参拝できたのでいくつか発見がありました。
初詣では総門周辺が一番混雑しますが、この時期には射的屋さんがのんびり営業しています。
おみやげ屋さんも絵になります。
山門の脇のある狛犬をみると、「おっ!」が一つありました。
台座の正面に『霊厳島南新堀弐丁目』とあります。
霊厳島は現在の東京都中央区八丁堀~新川付近です。
家康入府前は海だった場所で、埋め立ててお堀や船着場となっていました。
その関係で材木問屋などが多く、あの河村瑞賢の屋敷もあった場所です。
側面に文化11年とあります。
文化年間は1804年から1817年。
文化11年は1811年ですから、この狛犬さんは約200年間ここに座っているということですね。
この狛犬は200年前の江戸の商人が集まって成田山へ奉納したんですね。
こうゆうふうに見てゆくと、成田山が江戸を中心とした多くの人々からの寄進によって成り立っていることがよくわかります。
『常夜燈』というものが林立していますが、これらもすべて各地からの寄進物です。
ちなみに、写真に写っている『常夜燈』はほとんどが歌舞伎役者からの奉納でした。
そういえば、歌舞伎と成田山は切っても切れない間柄。
「よぉ~っ! 成田屋!」
これは茨城県那珂湊からのもの。
那珂湊も河村瑞賢のお話にでてきました。
東北と江戸を結ぶ東廻り航路の要所として栄えた街。
当時の繁栄がうかがわれます。
階段を登って仁王門です。
変なことが気になりました。
ハトよけの金網のはるか上にも千社札。
これって、いつから? これって一種の落書き?
でもこれは剥がされもせず、容認されるの?
日本人が世界の文化遺産に落書きしてしまうルーツって、もしかしたら千社札?
仁王門にぶらさがっている巨大なちょうちんは築地魚市場からの寄進でした。
仁王門の先には亀がいっぱいの池があります。この日は日向ぼっこ中。
この池にかかる橋は、上野近辺の商店会からのもののようでした。
立派な大本堂も豪華な三重塔も、すべては人々からのお賽銭とか
寄進を集めたものなんですねえ。
当たり前のことですが、気づくとなんだかすごいなあ~と思います。
だって、日本人はみんな無宗教だったのでは?
全国各地にこんな立派なものを造って、お正月には何百万、何千万人が
一度にお参りする日本人って、本当に無宗教なんでしょうかねえ。
のんべえもあんまり宗教には興味ないんですが、
客観的に見て面白い国民ではないでしょうかね。
私たちって。
お参りの帰りにはやっぱり”うなぎ”でした。 ごっちゃんです!
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by sakenihon | 2009-03-31 19:35 | 日本の風景