津軽の忘れもの
最近、春の嵐の吹かれてフラフラしている間にもう4日。 イケませんねえ。
津軽のお酒、一つ紹介を忘れていました。
青森県西津軽郡鰺ヶ沢の尾崎酒造さんの『安東水軍』です。
帰路、途中下車した青森駅の売店で購入したものです。
青森から上野までの電車の中でチビチビやったお酒です。
旨味と酸味がしっかりあって、少しとろっとしたような舌ざわり。
いかにも青森のお酒といった感じでした。
いまさら、思いだしたように書くのはわけがあります。
このお酒のラベルが大変興味深いと思うのです。
まずはお酒の名前の『安東水軍』です。
平安時代の奥州の戦乱(前9年・後3年の役)で敗れた安倍氏が津軽十三湊へ逃れ、『安東水軍』となったそうです。
安東水軍は中国(唐)とも交易をし、航法や造船技術を習得し、ますます大型の船の建造が可能となり、その大船で北国の幸を満載して三韓、唐、天竺などと交易を広げへ巨万の富を得たそうです。安東の富は各地の社寺へ寄進され、平泉金色堂の黄金の威容をも支えたとのことです。
ところで、最初に荒ぶる日本海を渡って唐との交易ができたということは、当初からかなりの航海能力があったということです。
どうして?と考えると、函館の『北方民族資料館』で得た知識が浮かびました。
”アイヌ民族”の航海能力です。
そのような航海技術が津軽まで伝わっていたとしてもなんら不思議ではありません。
奥州の戦乱自体が、大和系(弥生人系)による北方民族系(アイヌ系)の鎮圧といいます。
安倍氏とアイヌ文化がつながっていて当然です。
安東水軍はアイヌの航海術を基に発達したのだと私は考えます。
さらに、早い時期から北海道~津軽~能登~敦賀への日本海廻りの北前船が発達できたのも、アイヌの高い航海術があったためと考えられないでしょうか。
ラベルのもう一つ気になる文字。
『東日流』と書いて『つがる』と読むんですね。
そういえば『つがる』って『トゥガル』みたいな外国語っぽさがありませんか?
もしかしたら、これも元々はアイヌ言葉が低流にあるのではないかとさえ思えてしまうのは私だけでしょうか。
『東日流』という文字にも深い意味を感じてしまいます。
どこから見ての”東”なのでしょう?
中国(唐)から見ての極東という意味の”東”なのでしょうか。
現在の日本地図では辺境ともいえる津軽地方ですが、、かつてのある時代においては、日本列島での最もグローバルな場所であったのかもしれません。
『北前船』の”前”という文字は”表”を意味していたそうです。
江戸初期以前は日本海側が日本の表側という意識だった現れです。
アイヌの航海技術に基づいた北海道から津軽~京都、そして唐、天竺へのルートはかつて日本の表玄関ともいえる交易ルートであったのでしょう。
一本の酒から、そんな勝手な想像に浸りながら飲む酒は、また一段と味わい深く、酔いも深いものです。
次第にまた北前船のことが気になり始めました。
最初は日本の中での米や酒を運ぶ海運としての興味でしたが、もっと深い歴史を感じ始めました。
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by sakenihon | 2009-04-04 22:47 | 日本の歴史