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河村瑞賢 西廻り航路開拓まで

今日はカミサンの実家(国分寺市)へ行ってきました。

東関東自動車道成田ICから首都高を通過して、中央道の国立府中と、片道130kmの往復。
1000円割引きの影響で、例年になく首都高が混んでいるとの情報もあってハラハラ。
しかし、幸い大変スムーズな流れで行って帰ってこれました。 
日ごろの行い、良かったかなあ? (あまり自信ないけど)

ふーっ!でも疲れた・・・・
まあ、お盆ぐらいは孫の顔も見せないとね・・・・・
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さて、河村瑞賢です。
まずは前回(1月20日~2月9日)書いてた内容をザッとおさらいさせてください。
なにせ書いた本人が忘れてますもん。

以前書いたものを読み返すと、結構よく書けてるし面白いことに驚いた。(自画自賛で失礼)
最近の文章は面白くないですな、堅苦しいです。 我ながら。
初心に戻らなくっちゃ・・・・・・大反省中


【東廻り航路開拓までのまとめ】
1618年 
    伊勢の国東宮村(現 三重県度会郡南伊勢町東宮)にて河村瑞賢生まれる。
    祖父までは武士だったが、戦国乱世に父の代で帰農し、瑞賢は農民として生まれる。

1630年 (13才)
   父は瑞賢の才智を見込んで江戸へ行かせた。
   東宮~江戸は古くから海運関係があり、江戸の事情が入りやすかった。
    詳細はこちら⇒1月20日の記事

1638年頃~ (20才~) 
   江戸で車力(荷車引)として働くもうまくいかず、20才の時上方へ向かおうとする。
   その旅の途中、品川の海で盂蘭盆の瓜や茄子が波間に漂うのを見る。
   それを拾い集めて漬け物を作って売り始める。

   普請場(工事現場)の昼飯時に漬け物を売り歩く。
   その過程で幕府普請役の役人と知り合い、信頼を得て人夫頭となる。
   この経験で土木・工事・材木についての知識を得る。
   また、知り合った材木問屋の船で伊勢へ帰省、銘木の産地 尾州知多にも出向き、
   人脈を得るとともに材木と船・航海の知識を得る。
    詳細はこちら⇒1月21日の記事
   その後、土木業・材木業として独立。

1657年1月18日 (40才)
   明暦の大火(振袖火事)が発生する。
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  (江戸東京博物館展示資料より・クリックで拡大します)

   火は断続的の3日間燃え続け、江戸城を始め、ほとんどの大名屋敷を消失させた。
   瑞賢はそれを見るや、全財産を持って夜を日に継いで尾州知多へ一目散。
   できる限りの高級材を買い占めた。
   さらに、江戸へ材木を運ぶための船も抑えた。
   幕府や多くの藩からの屋敷再建を請け負い、莫大な財産を築いた。
   詳細はこちら⇒1月30日の記事

  その後も多くの普請を請け負い、それらを非常にうまく行い評判が増し、
  幕府からも信用を得てゆきます。

  瑞賢の成功は財産ではなくて、多くの人からの信頼を得られたことなんですねえ。
  やっぱ、人徳がないと人間ダメですねえ。  
  わが身を振り返り、落ち込むのんべえ・・・・・・ああぁぁ・・・


    (ちょっと面白いエピソード)
    「芝増上寺の鐘楼の移動」と「上野寛永寺の屋根瓦修理」のお話
    以前、お読みになっていない方はこちらもどうぞ
     ⇒ エピソード 「出題編」
     ⇒ エピソード 「解答編」

1670年 (53才)
  幕府より、奥州(福島県)の天領米数万石を江戸へ廻漕(船で運ぶ)ように命ぜられる。
  迅速な調査・情報収集・準備に加えて革新的な方法で、これを翌1670年に成し遂げた。
  それまで海運に従事したことがなかった瑞賢が、従来1年以上要していた輸送を50日程度で行ない、さらに一隻の難破・事故もなかったことは、当時の海運事情からすれば驚くべきことだった。 
  これが、『東廻り航路』の開拓です。

  詳細はこちらをご覧ください。(すっごく長いけど・・・・)
    河村瑞賢 奥羽海運改革 その時代背景と経緯
    河村瑞賢 奥羽海運改革 その一
    河村瑞賢 奥羽海運改革 その二
    河村瑞賢 奥羽海運改革 その三

  江戸時代、50才を過ぎてから大事業を成し得たというのは凄いじゃありませんか!
  今、のんべえ自信がこの年代ですが、比較するのも恥ずかしくなります。
  
  しかし、これはまだまだ瑞賢の業績の序章にすぎないんです。
  なにせ、80歳過ぎるまで全国を駆け巡りながら、多くの事業を成し遂げるんですから。
  それも私利私欲ではなくて庶民が豊かになるために、私財をなげうってでもというスタンス。

  まるで、松下幸之助さんと田中角栄さんと水戸黄門さんを足したような人ですわ。 

  奥州米の廻漕の大成功を見た幕府は、
  その翌年今度は出羽国(山形県)からの米の輸送を命じるのです。

  これが、『西廻り航路』開拓のスタートとなります。  
    
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by sakenihon | 2009-08-16 02:26 | 日本の歴史  

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