村八分の文化
驚きと称賛、そして「どうして日本人はあんなに冷静に助け合えるのか?」
という疑問も起こっていると聞きます。
日本人としては当たり前で、「どうして?」といわれても・・・・
確かに「どうして略奪とかが起こらないんだろう?」と考えると不思議かも。
日本人は農耕民族で『ムラ』の共同体を中心に生活してきたから、
というのが一つの答えかも、と思います。
『さなぶり』という田植えの後の行事も『ムラ』や『小字』ごとの行事でしたし・・・
神崎宣武著の『しきたりの日本文化』という本を思い出しました。
その中に『村八分』についての記載があります。
『村八分』ってのは周知の通り、何らかの理由によって共同体としての
『ムラ』から特定の家をつまはじきにすること。
その家は田植え、稲刈り、祭りごとなどの一切の共同行事に参加できません。
ところが、完全に締め出すわけではないのが『八分』の意味なのです。
残った『二分』があるのです。
それは、『火事』と『葬儀』。
万一、村八分になっている家に不幸があった時は、ムラをあげて葬儀の手伝いをする。
万一、火事が起こって村八分の家の者が焼け出されたら、ムラで支援する。
村八分になっても、この2分はちゃんと助け合うことが決まりだったそうです。
本当に困った時には、何が何でも助けるという精神があったのですね。
現在のイジメや嫌がらせとは全然違いますよね。
ちゃんと節度というか、文化があるんですよね。
東北地方にはその文化が都市部以上に残っていて、今回のような助け合いと秩序が
生まれているのかも・・・ということは想像できますね。
だとすると、世界に誇るべき習慣であり文化ですね。
都市部でも今でも”回覧板”というものがありますね。
自治会とか青年団、消防団なんてものも残っているのでは?
都内だって下町には町内会があって、マンションには管理組合がある。
面倒だけど、なんとなく当たり前にみんな関わっている。
こうゆうのって、ムラ文化の名残なのかもって思えてきました。
こうゆうのって、海外でもあるんでしょうかね?
残念ながら平時では面倒臭くって、ほとんど形骸化してますね。
でも、回覧板があるんでお隣さんにごあいさつする機会も生まれるわけです。
いつもくだらない内容の回覧板ですが、回すこと自体が有意義なのかも?
もし、東京や埼玉とかで直下型の震災が発生して、極限状態に追い込まれても
東北の人々のように助け合えるのかなあ?
みんなそれぞれ心の奥底にはムラの習慣や文化は残していると思うけど、
それを発揮できるのかなぁ・・・
不安あるよなあ~~
なんてことを、考えながら今夜も満寿泉で一献。
今日は、久々に『酒の向こうに・・』っぽいことを書いてしまったかも。
グタグタですみません。
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by sakenihon | 2011-03-28 02:32 | その他いろいろ