四国 高知 『司牡丹酒造』さんへ
2008年7月16日の午後に時計を戻してのお話です。
土佐くろしお鉄道『ごめんなはり線』で赤岡駅からごめん駅に戻り、特急南風号に乗り換えです。

土讃線で高知駅を過ぎ『佐川(さかわ』という小さな駅に降り立ちました。
のんびりしています。

飛行機雲のお出迎え。めちゃくちゃ暑い日でしたが、きもちいい日でした。

佐川町は江戸時代、土佐藩筆頭家老深尾家の城下町として栄えた町です。
また、深尾家代々の文教強化策によって、世界的植物学者牧野富太郎博士
をはじめ、様々な分野の優れた人材を多数輩出した町だそうです。
いまでも、町並みは江戸時代の面影を残しています。

上の写真の中の右下の部分と下の写真は同じアングルです。(上は昭和初期)

この通りは土佐藩のお城への街道だった道です。


街道に面して歴史ある建物が現役で多数残っています。


そして目指す『司牡丹酒造』さんへ到着。
巨大な杉玉が迎えてくれます。
『司牡丹酒造』は関ヶ原の戦いの直後1603年に現在の静岡県掛川市から移動してきた
土佐藩第一代藩主『山内一豊』に従って来た御用商人が始めた藩お抱えの造り酒屋です。
つまり、400年以上の間ずっとここで酒造りを続けているということです。

加賀の前田利家お抱えの『やちや酒造』さんも同じですが、日本国内で400年間同じ場所で、
同じ事業を続けているって日本酒の酒蔵ぐらいではないでしょうかねえ。
司牡丹さんは現在でも土佐鶴に次いで県下2番目の規模を誇る酒蔵です。
歴史の中で隣接していた幾つかの酒蔵が統合されたため、その敷地は大変広大です。
写真に写っている道路の地下にはパイプが埋設されているそうです。
そのパイプを使ってお酒を移送しているとか・・・・
横に広がった広大な酒蔵ならではのお話ではありませんか!

司牡丹さんは酒米にもこだわり、『永田農法』という無農薬・減肥料による栽培方法を使った
お米を酒造りに利用され高品質のお酒を製造されています。

『柚子の大バカ十八年』というのはもちろん柚子酒です。
社長が昔、一度だけ試しに造ってみたお酒で、ずっと忘れられていたそうです。
それがたまたま”発見”され、飲んでみたら大変美味しくなっていたのが18年目という代物。
こちらの社長さんもおおらかなで頑固な”土佐のいごっそ”のようですね。

司牡丹の会長さんと漫画家の黒鉄ヒロシさんは親戚関係だそうです。
酒蔵に隣接したこの空地が黒鉄氏の生家跡だそうです。

というわけで、こんなお酒もあります。

本当に酒蔵のある場所には素晴らしい日本が残っていて、楽しいお話が転がっているものです。
これはどこに行っても感じることですが、ここ四国の佐川でも同じでした。
始めて来た小さな街ですが、また思い出の地が増えました。
さあ、これからまたJRで移動です。
今夜の宿泊地『九礼(くれ)』を目指します。
九礼は漫画『純平』『土佐の一本釣り』の舞台となった漁師町。
どんなとこかな?と楽しみが膨らんで電車に乗りました。

つづく・・・・・・
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by sakenihon | 2008-12-03 00:32 | 酒蔵めぐり