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2009年 01月 28日 ( 1 )

 

上野寛永寺 《清水観音堂と平盛久》

最初は富山の満寿泉さんのHPに記載されていた、『北前船』って何?からスタートし、

『河村瑞賢』へ、そしてそこから『上野寛永寺』にたどり着いて、寛永寺について二日がかりで

長々と記載してしまいました。

もう少し『河村瑞賢』についてのお話をしたいのですが、その前にもう一つだけ、大脱線を

させていただきます。


寛永寺について記載するにあたって、上野公園周辺を散策してきましたが、その折に西郷さん

の銅像の裏手に不忍池を見下ろすように建つ『清水観音堂』に立ち寄りました。
上野寛永寺 《清水観音堂と平盛久》_f0193752_21524100.jpg

 『清水観音堂』は数多く存在した寛永寺の建造物の中で、上野戦争にも第二次世界大戦にも

無傷で残った数少ない建物で、国の重要文化財に指定されています。

お堂に入って参拝した後で、堂の中を見回しましたら一枚の『額絵』に興味がわきました。

お堂に入ってすぐの賽銭箱の真上あたりに、御本尊の千手観音に向かうように掛けられた

2mx1.5mほどの大きな額絵です。 (堂内撮影禁止でしたので写真はありません。)

その額絵には、武士から今にも首をはねられる寸前の人物が描かれていました。

武士は大きな太刀を今にも振り下ろすといった姿勢で、絵全体は非常にオドロオドロしく、

お寺には似つかわしいものではありません。

興味を抑えきれず、お坊さんに聞いてみました。

お坊さんはチョット息を整えるような一瞬のあとで、ゆっくり丁寧に説明をしていただきました。


その絵に描かれた、今にも首をはねられそうな人物は『平盛久』(たいらのもりひさ)という平家の

武将だそうです。

盛久は日頃から京都清水寺の観世音菩薩を深く信仰していたそうです。

その盛久が源氏に捕えられ鎌倉の由比ヶ浜で打ち首にされる寸前、なぜかその太刀

がポッキリと折れてしまって、処刑ができなかったというのです。

その報告を受けた源頼朝は盛久を放免します。

盛久は京都に戻り清水寺へ参拝すると、自分が奉納した千手観音像が打ち首の時刻に倒れ

破損していたことを知り、観音像が自分の身代わりとなったのではと、改めてその霊験を

思い知ったというお話があるそうです。

お堂に掛けられた額絵は、その処刑の様子が描かれており、よく見ると天からは雷が降り注ぎ

武士の持った太刀の先がないのがわかります。

(このお話はお能でも『盛久』という題目で知られているとのことです。)

その傷ついた千手観音像がその後、京都の清水寺から寛永寺清水観音堂へ移されて、

清水観音堂の御本尊(秘仏)となっているそうです。


お坊さんは以上の経緯を説明された後で、御自分の感想として以下のように語られました。

「この清水観音堂だけが、上野戦争の激戦でも大戦でも全く被災せず、建立当初のままで

残っているのは何か不思議な力を感じずにはいれないのです。もしかしたら千手観音様から

守られていたのでは?と、どうしても考えてしまいます。」

信仰心のない私でもこのお話を聞くと、何かそのような力ってあるんじゃないかと思います。

今日ここへ来て、このお話に接することができてよかったと感じました。

いままで、何とも感じなかった上野公園をすごい場所に思えてきた昨今です。

(以上のお話はこちらのHPにも記載がありました。⇒ 『寺旅』 )


清水観音堂の御本尊『秘仏千手観音』は2月6日に年一回の特別御開帳となります。
これも何かのご縁ですので、是非拝みに行こうと思っております。
上野寛永寺 《清水観音堂と平盛久》_f0193752_216155.jpg



ようやく、寛永寺から『河村瑞賢』へ戻れそうです。

しかし、基本的にはお酒のブログ。

そろそろ、それらしいことも書かなくっちゃと思ってはおりますが・・・・・・・





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by sakenihon | 2009-01-28 02:23 | 日本の歴史