2009年 08月 24日 ( 2 )

 

河村瑞賢 西廻り航路開拓成功のポイント

またまた、河村瑞賢ネタに戻ります。
文字ばかりで、面白くないと思いますがご勘弁を・・・

8月19日の「河村瑞賢 西廻り航路開拓 その三」のつづきです。

瑞賢が幕府に提案した”企画案”への補足です。

② 最上川上流の天領から河口の酒田への米の運び方のルール作り。
 天領の米を最上川の川船で河口まで運んで、いったん集積します。
 その運賃は従来、民間が負担していたため人民が重課に苦しんでいたので、これを官費とした。
 さらに、従来は上流の船ばかりを使っていたが、上流・下流わけ隔てなく使うように変える。
 これにより船持が均しく富んで船も堅牢になり、輸送が安定することとなる。

③ 酒田での米の保管方法の見直し。
 最上川の河口に集めた米の貯蔵場は、従来民間の私物と一緒に置いていた。
 しかし、これでは万一の災害の際に被害が大きくなるので、御城米専用の蔵を設ける。
 (当時は火災の危険性が大きかったようです。)

④ 酒田での船積み費用の負担者の変更。
 酒田での船積み費用は従来は酒田の領主(酒井家)の負担だった。
 これをすべて幕府負担とする。

⑤ 御城米船であることがわかる幟(ノボリ)を立てさせる。
 東廻り海運の時と同じく、幕府御用船であることが分かるようにする。
 このことで通過する藩からの協力・援助が受けやすくなる。

⑥ 途中寄港する諸港での入港税の免除。
 従来、北国の諸港では運搬船に入港税を課してた。
 そのため、船頭は税を免れるためになるべく港に寄港しないで、無理な航海をしていた。
 その結果、遭難・転覆が多発していた。
 瑞賢はこの入港税の徴収をやめさせるよう、幕府から諸藩に通達を出させた。

⑦ 寄港地の特定と立務所(海の関所)の設置。
 途中の寄港地として以下の10か所を定め、立務所を置く。
 立務所では関所のように人や荷物の出入りのチェックのほかに、荷物の積み過ぎなども
 目を光らせて安全な航海となるようにする。
 小木(佐渡)、福浦(能登)、柴山(但馬)、温泉津(石見)、下関、
 摂津(大阪)、大島(紀伊)、方座(伊勢)、畔乗あのり(志摩)、下田(伊豆)

 また、周辺の幕府代官や諸侯へ御城米船の保護を命じた。

⑧ 関門海峡の水先案内船の整備
 下関の海峡は海中に岩礁が多く通過が難しいので水先案内船を備えるように命じる。
 また、流れが速いので無理に近道をして座礁などしないよう命を出す。

⑨ 航海の時期を気候が安定した時期の限る。
 毎年春分前後は強い西風が吹くので、その時期を避け、北上すること。

⑩ 以上の提案の是非を自ら確認するために、全行程を自ら訪れてチェックする。
 輸送船が通過する各港を瑞賢自らすべて詳しく視察するため、旅に出る許可も幕府から取った。
 さらに、そのついでの当時唯一外国船が集まる長崎への視察も許可を取った。
 (この視察旅行には瑞賢の長男伝十郎を伴った。)


以上のような瑞賢の提案を幕府はすべて受け入れました。

提案の内容は幕府の支出が増える内容も含まれていることの驚きます。

むやみにコストを下げるのではなく、ムリ・ムラ・ムダをなくすことでトータルをスムーズに

進めようとする瑞賢らしい提案だと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

寛文12年(1672年)3月、瑞賢は江戸を発って酒田に向かいました。

酒田に着いたのが4月8日。

公儀御役人の格式で堂々と乗り込んだそうで、宿へは鶴岡の庄内藩主から度々贈り物

があったそうです。

伊勢の農民として生まれた河村瑞賢に対して・・・・・そうゆうことが有り得たんですねえ。

(この辺にも徳川封建制の柔軟さを感じてしまいます。)


5月2日に御城米を積んだ船が初出帆し、5月10には瑞賢親子も酒田を出発しました。

酒田を出て徒歩で北陸道から山陽道へと立務所を設けた港を巡りながら下関へ至り、

船で九州へ渡り、長崎を訪れたそうです。

帰路は下関より船で瀬戸内海の航路を視察しながら大阪に至り、京都から東海道を経て

江戸へ戻ったとのことです。

この間、2カ月弱の旅だったようです。 

お疲れ様です。 瑞賢すでに55歳。 

人間の脚は大したのもです。 昔の人は強かったんですねえ。


城米を積んだ船は一隻の沈没・破損もなく、7月に次々と江戸へ到着したそうです。

酒田から約2カ月で減損もなく大量の米を運べたことは、当時では考えられない奇跡。

それまでは減損しながら、1年以上掛っていたのですから。


このように、航路が安全になり、海運の改善への貢献大ということで、幕府はこれを賞して

瑞賢に金三千両を賜与したそうです。

このように、瑞賢の行動が仔細に解るのは新井白石『奥羽海運記』を残しているためです。


以上、『河村瑞賢』 古田良一著 吉川弘文館 からの抜粋です。


次回からは、この西廻り航路にちなんだお酒をネタにしてゆきたいと思っております。

どこまで続くやら・・・・




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by sakenihon | 2009-08-24 22:45 | 日本の歴史  

いちべえ寄席

荻窪の有名地酒処「いちべえ」さんのいちべえ寄席に行ってきました。(って昨日も書いたか)

残念ながら寄席の後の宴会は予約が取れず、寄席のみ。

今回は三遊亭鳳志&桂吉坊さんの二人会。

いつもと違った二人会のせいか?大盛況の大入り満員。

一人座布団一枚分のスペース。  けっこうキツイ姿勢ながら、浴衣姿の女性客もちらほら。

みなさん和気あいあいで落語を楽しめました。
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三遊亭鳳志さんと
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桂吉坊さん。
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鳳志さんは東京、吉坊さんは上方の若手。

お互いにかなり意識しながらの二人会。 緊張感もあって楽しめました。

これで木戸銭1000円はリーズナブル?

このあと、いちべえさん自慢のお酒が飲み放題の宴会だったのですが、今回は予約一杯。

しかたなく、阿佐ヶ谷~高円寺方面の夕暮れの街に消えたのんべえでした。



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by sakenihon | 2009-08-24 01:26 | 本日の一献