人気ブログランキング |

<   2009年 02月 ( 22 )   > この月の画像一覧

 

函館~青森の旅から帰ってきました!

無事、計画通りに戻ってまいりました。

今回は仕込みの真っ最中での蔵めぐりで、ご迷惑なことは百も承知のつもりでしたが、

思っていた以上に本当に多々ご迷惑をおかけしてしまいました。

大変な時期に『どこの馬の骨』にもかかわらず、丁寧なご対応をしていただいたお蔵の皆様

本当にありがとうございました。

特に、三浦酒造様 、玉田酒造様斉藤酒造様 には何といっていいかわからない程です。

感謝、感謝、感謝です。

それから、弘前の宿泊先の石場旅館様にはスペシャル・サンクスでございます。

なにからなにまでお世話になりました。

この場にて、ひとまずお礼とさせていただきます。


 
今回の旅行記はこれからゆっくりじっくりとシタタメてまいります。

題して、 『津軽じょっぱり酒蔵巡り!』


お酒もどっさりと買いこんできました。

弘前から宅配便で移動中。   明日か明後日に到着すると思います。

あくまでも地元で毎日飲まれているお酒というコンセプトで買い集めてきました。

旧2級酒などもあります。首都圏には決して出ないお酒がほとんどだとおもいます。

飲みた~い方、飲み会を開いていただければ持参していきますよ!(笑)




さて、今日のところは酒蔵にはまったく無関係な函館山からの百万ドルの夜景で御勘弁ください。

まずは、 『夜景になる前の図』
f0193752_21685.jpg





次に 『サッポロクラシック生が来た時の図』
f0193752_2145382.jpg





そして、 『サッポロクラシックをほぼ飲み終るころの図』
f0193752_2182557.jpg



ひとりで如何に暇なことをやっていたか、おわかりいただけましたでしょうか・・・・・・

笑ってやってください。



明日(じゃなくってもう今日ですが)16時から新宿の『樽一』さんです。

こんどは福島のお酒をたっぷりいただいてきます。



2つのランキングへ参加してま~す。
お手間をかけますが、ポチっとワンクリックのお恵みを!


日本酒関連のブログがいっぱい!酒ブログランキングへ⇒⇒⇒ にほんブログ村 酒ブログへ

お酒全般!人気ブログランキングヘ  ⇒⇒⇒  人気ブログランキング

by sakenihon | 2009-02-14 02:33 | 日本の風景  

青森へ酒蔵巡りに行ってきま~す!

予告しておりました通りちょっと酒蔵巡りに行ってきます。

今回の目的地は青森県の弘前市と黒石市です。

12,000円乗り放題を活用して函館まで足をのばそうと思います。
                             (函館に酒蔵はないのですが)

そんな訳で酒蔵は5軒も廻れればいいかな? という感じです。

いったい何をしに行くのやら・・・・・ですね。


まあいつものように、酒蔵のある街の風景や歴史、風土、味覚などをからだ全体で満喫して

きたいと思っています。



今日水曜の朝一番で出発して金曜の夜には戻ってきます。

できればネットカフェあたりから写真の一枚でもアップできればと思ってますが、

そんな時間ないかなあ・・・・


帰った翌日は新宿の樽一さんです。

しばらくブログのネタには不自由しなさそうです。


では、行って参りまーす!




2つのランキングへ参加してま~す。
お手間をかけますが、ポチっとワンクリックのお恵みを!


日本酒関連のブログがいっぱい!酒ブログランキングへ⇒⇒⇒ にほんブログ村 酒ブログへ

お酒全般!人気ブログランキングヘ  ⇒⇒⇒  人気ブログランキング

by sakenihon | 2009-02-11 01:36 | その他いろいろ  

「福島呑みの市 in 樽一・新宿店」 開催のお知らせ

新宿歌舞伎町、コマ劇場へ行く路の途中にかつて地酒ブームの発火点となった居酒屋『樽一』

さんがあります。

今でも日本酒好きが集い、なかなか席がとれないお店です。

ここで2月14日に福島の地酒を楽しむ会『福島呑みの市 in 樽一・新宿店』が開催されます。

当日は、福島の銘酒がたっぷり飲めるだけではなく、『大七酒造』『末廣酒造』『大木代吉本店』

さんなどなどの蔵元もお見えになり、お話を伺いながらの一献!二献!三献!となります。


もちろん、のんべえも参加させていただきます。

ご興味のある方は是非ご参加ください!


 【日時】  2月14日 16時30分~19時

 【場所】  樽一(たるいち)新宿店
        東京都新宿区歌舞伎町1-17-12  第1浅川ビル5F

 【参加費】 4000円 (当日集金) 

 【参加申し込み】 お店ではありません。
            詳しくはこちらをご覧ください。⇒ 『移住者ネットワークふくしま』
                     (定員になり次第締め切り)



『移住者ネットワークふくしま』の代表者、村上佳子さんは私にとって日本酒の大先輩です。

『日本酒を楽しむ女性の会 美酔』の運営も行っておられ、女性の声を集めた日本酒に関する

唯一のマーケティング本ともいえる、『お酒を楽しむ女たちのランキング』を出版された、

この世界の有名人?です。

今回、村山さんより直々にご案内いただきました。

どうぞ、御都合のつく方はご参加ください。

一緒にたっぷり飲み、語りましょう!





2つのランキングへ参加してま~す。
お手間をかけますが、ポチっとワンクリックのお恵みを!


日本酒関連のブログがいっぱい!酒ブログランキングへ⇒⇒⇒ にほんブログ村 酒ブログへ

お酒全般!人気ブログランキングヘ  ⇒⇒⇒  人気ブログランキング

by sakenihon | 2009-02-10 20:50 | その他いろいろ  

河村瑞賢と新井白石

昨日まで、河村瑞賢の東廻りの海運改革のお話を長々と続けてきました。

しかしながら、こんな江戸の初期の話がどうして今に伝わっているのか不思議です。

将軍家や大名家であるとか、河村家の土蔵の中に古文書が残っていたとか、でもない限り

正確なお話が400年間もどうやって伝わったのでしょう。

紀伊国屋文左衛門のように講談などの世界で残ったものは、かなりの脚色がなされており

史実とは乖離してしまいます。

だとすれば、瑞賢の功績も本当だったか?という疑問が湧いてきますよね?



『野史』『翁草』などの江戸時代の歴史書に、瑞賢についての記載が残っていたことは、

以前に書きましたが、それらが残されたのは時代がかなり下ってからです。

実はもっと新鮮に瑞賢の功績を残したのが『新井白石』なのです。

河村瑞賢を知らない人でも新井白石の名前を知らない人はいないでしょう。

江戸時代を代表する学者であり文人であり、さらに幕府のブレーンで幕府の政策をも左右した

人です。

新井白石は、瑞賢が大きな富を成した『明歴の大火』の翌日、その避難先で生まれ

たそうですから、瑞賢の奥羽海運改革の年には、まだ十三歳ほどの子供であったことになります。

その後、年代は未確認ですが白石は幕府の依頼で、瑞賢が行った奥羽海運改革に関する

記録を『奥羽海運記』として残しているのです。

この『奥羽海運記』によって、瑞賢の功績をある程度正確に読み解くことができます。

したがって、現在残っている河村瑞賢の記録はあながちデタラメではないようです。。


ついでに言えば、瑞賢は白石に経済的援助を行っていた、いわゆるパトロンでもあったようです。

瑞賢の孫娘(未亡人)と白石の縁談話もあったようですが、白石がやんわりと断ったという記録

も残っており、大変近い関係だったようです。

当然、瑞賢と白石は直接顔を合わせた仲で、同じ時代を生きているのですから、白石が残した

記録が絵空事とは思えません。(パトロンとしての多少の誇張はあるかもしれませんが)



それにしても、瑞賢は白石のことを『後に幕府を左右する人間になる』と読んでいたのでしょうか?

だとすると、そうゆうところからも瑞賢の『先を見る目』のようなものを感じてしまうのは

私だけでしょうか?









2つのランキングへ参加してま~す。
お手間をかけますが、ポチっとワンクリックのお恵みを!


日本酒関連のブログがいっぱい!酒ブログランキングへ⇒⇒⇒ にほんブログ村 酒ブログへ

お酒全般!人気ブログランキングヘ  ⇒⇒⇒  人気ブログランキング

by sakenihon | 2009-02-09 23:20 | 日本の歴史  

河村瑞賢 奥羽海運改革 その三

やっと奥羽海運改革の最終章となります。

寛文十年(1670年)一月末に幕府勘定方からの依頼を受けて以来、河村瑞賢は本業の

土木・材木業は部下に任せ、荒浜から江戸への廻船の準備の没頭したようです。

そりゃそうですね。 明歴の大火以降、いくら財をなしたといっても幕府直々のオファーを失敗

するわけにはいきません。

寛文十一年(1671年)春にはすべての段取り準備を整え、尾張・伊勢付近からの弁財船

十数隻を江戸に呼び集めていました。

ほぼ一年で準備を整えたことになります。仕事の速さに驚きます。


集めた船に船団を組ませて荒浜に向かわせ、自らは陸路で荒浜を目指したのは3月初旬。

『なんで船に乗って行かなかった?』という疑問が浮かびますが、答えは簡単。

歩いた方が早かったのです。

江戸から約400kmほどの道のり、徒歩で2週間もあれば十分な距離です。

立ち務所(検査所)を置いた那珂港、平潟などへ港を確認のために立ち寄り、阿武隈川の様子

なども確認しながら荒浜に到着したのは3月末頃だったそうです。



それに対して瑞賢より先に江戸を出た船団が荒浜に到着したのは5月中旬だったそうですので

50日ほどかかったことになります。

伊勢・尾張から頑丈な船を使ったといえ、所詮は風任せの航海です。

寄港地で何日も何週間も風待ちをしながらですので、これでも順調な航海だったようです。


荒浜には以前から廻船を取り仕切っていた、武者惣右衛門(むしゃそうえもん)という商人が

いたので、瑞賢は惣右衛門の協力も仰ぎながら万事抜かりなく事を進めていったようです。

到着した船に御城米を積みこんで、第一船が再び江戸へ発ったのが5月末です。

これを見届け瑞賢も再び徒歩で江戸へ先回りし、6月中旬には江戸へ戻っていました。

そして、荒浜を発った最初の船が江戸へ戻ったのは7月10日頃、40~50日の航海です。

そのほかの船も一隻も難破することなく、8月までには江戸へ戻ってきておりました。


3月末に江戸を出て、荒浜で御城米を積みこみ、再び江戸へ戻ってきたのが7月中旬ですので

3か月半ほどで奥羽の米を江戸へ廻船できたことになります。

現在のトラック輸送であれば2日で行って帰ってこれる距離ですが、当時では画期的に早い

輸送だったのです。

さらに十隻以上の船がすべて無事に帰ってこれたことは凄いことだったのです。


それまでは秋に収穫したお米が次の年の収穫前に江戸に到着したことはなかったようです。

つまり、それまでは到着した時点ですでに『古米』となっていたわけです。

現在と同じく『古米』『新米』より価格は安くなります。

瑞賢が運ばせた米は『新米』として、従来より高く取引され、依頼した幕府はもちろん

東北諸藩にとって大きな経済的メリットがある成功だったのです。

このことについて、塩竃市ホームページの中の「瑞賢の道」というページに以下の

様な記載があります。

瑞賢の改革後の1680年代から仙台藩が江戸へ送る米の量が急増し、

『藩財政収入の40パーセント前後がこの廻米による収益でまかなわれていたようで、重要な財源

であったものと考えられる。』


しかし、幕府がこの成功の効果の大きさを見て、翌寛文十二年(1672年)に瑞賢へ依頼した

事業こそ、河村瑞賢が残した最大の功績と評価される『西廻り海運改革』の事業です。

つまり、出羽国(山形)のお米を日本海を通って江戸まで運ぶという事業です。


東廻りでのノウハウがあるとはいえ、やっと一仕事終えたとたんに今度は日本海からずーっと

西への旅を強要される依頼です。

私なら『御勘弁ください~~お代官様~~』と土下座すると思いますよ。

人生五十年の時代、瑞賢はすでに五十五歳。

しかし、瑞賢の人生の中ではまだやっと折り返し地点程度。

これから益々パワフルに全国を飛び回ることになるのです。


この人、いったいどこまでやるの・・・・・???




2つのランキングへ参加してま~す。
お手間をかけますが、ポチっとワンクリックのお恵みを!


日本酒関連のブログがいっぱい!酒ブログランキングへ⇒⇒⇒ にほんブログ村 酒ブログへ

お酒全般!人気ブログランキングヘ  ⇒⇒⇒  人気ブログランキング

by sakenihon | 2009-02-08 22:22 | 日本の歴史  

河村瑞賢 奥羽海運改革 ちょっと余談

昨夜、日本テレビの金曜ロードショーで、山田洋次監督の『隠し剣 鬼の爪』という邦画を

やっておりました。

普段はテレビで映画はあまり見ないのですが、昨夜は風邪のために部屋に隔離されており、

一人で横になってのんびりと鑑賞しておりました。

山田監督プラス永瀬正敏、松たか子などの俳優陣の演技もかみ合って楽しめる映画でした。

江戸末期の東北(山形か福島会津あたり)の小藩が舞台の映画なのですが、その中で主演の

永瀬正敏さんの妹役を演じた田畑智子さんの(よく聞き取れないほど)早口の東北弁に感心し、

同時に河村瑞賢の本を読んでいた時に感じたことを思い出しました。


河村瑞賢が仙台市の南の荒浜という港から江戸への米の輸送に尾張や紀伊の船を使ったこと、

さらに船頭や船乗りもその地方の熟練者を選んで使ったことは、先日書きました。

確かに船舶技術が優れていることがその理由なのですが、それだけでは納得ができません。

技術的な問題だけならば、船と船頭だけを尾張などから連れてくればいいはずです。

しかし、瑞賢は船員までもすべて連れてきているのです。

当然、荒浜から江戸までの地形や海流、気象条件などは東北地方の船乗りの方が詳しい

はずなのに、東北地方の船乗りを使わなかったのはなぜでしょう?


それは『言葉』の壁があったのではないかと思うのです。

(長内国俊著の小説『河村瑞賢』の中にも所々にそのような記述があります。)


当時は現在のような『標準語』などなく、各地それぞれで言葉は大きく違い、言葉が通じない

ことは珍しくなかったとおもいます。

ただし、当時(江戸初期)の文化の中心である上方や、信長・秀吉・家康の出身地の中部・東海

(紀伊・伊勢・尾張・三河)などからの人の流入は多く、意思の疎通に問題はなかったのでしょう。


それに比べて、東北は遥か昔の藤原氏によって平泉が栄えた歴史はあるものの、江戸初期に

おいてはその言葉はほとんど理解できない、という状態だったのではないでしょうか。

参勤交代がある上級武士ならばまだしも、その他の庶民は滅多に移動しないでしょう。

そのため瑞賢はあえて尾張や紀伊などの船乗りを使ったのではないかと思うのです。

(瑞賢自身が伊勢出身ということも無関係ではないでしょうが)


昨夜の江戸末期を描いた映画の中でさえも、江戸から西洋式鉄砲隊の教育に来た都会的な

武士と東北の古風なさむらいの言葉や考え方の違いが滑稽に描かれていました。



この文章を読んで、東北を田舎扱いしていると気分を害される方が居られるかもしれませんね。

しかし、昨夜の映画の田畑智子さんの方言(正しいものかどうかは別として)を聴いて、私は

美しく上品で優しい日本の言葉だと感じたのです。

実際はもっともっと分かりにくい言葉だったのでしょうが、当時の日本には各地にそのような

『言葉』があって、それぞれがそれを『方言』などとは思わずに、誇りを持って使う、大変美しい

『言葉』だったのではないかと思うのです。(現在の『標準語』などよりず~っと)


昔は日本各地に、それぞれの日本酒がそれぞれの杜氏の工夫と技術で醸されていたのと

同じで、言葉もそれぞれ誇りを持って美しく生きていたのではないでしょうか?

全国どこでも東京の方を向いた、同じ言葉、同じ生活、同じ味覚、同じお酒という傾向が強まる

現代の日本は便利で公平ではありますが、あまり面白くない世界ですね。

『狭い日本』といいますが、江戸時代には日本はもっと広かったんだなあと思いました。


そんなことを昨夜の映画を見て感じたという、極めて簡単なことをまたまた駄文で長々と

書いてしまいました。 申し訳けありません。


しかし何かにつけて最近想うのは、『現在は江戸時代より文化的に優れていていい時代

なんだ』とは一概には言えないなあ~~~
ってこと。

決して、現在のドツボの不況のための現実逃避的感慨ではないと思うのですが、

みなさま如何でしょうか?



『おめえ、単に山田洋次監督の世界にハマっただけやんけ!』というお叱り、あると思います。

『風邪の熱でうなされとるんかい!』 というお叱りもあるでしょう。

たぶんそうなんです。 うなされているんです。 きっと・・・・・病気です。

でも、せっかく書いたんでアップしますね。 ずうずうしく。





2つのランキングへ参加してま~す。
お手間をかけますが、ポチっとワンクリックのお恵みを!


日本酒関連のブログがいっぱい!酒ブログランキングへ⇒⇒⇒ にほんブログ村 酒ブログへ

お酒全般!人気ブログランキングヘ  ⇒⇒⇒  人気ブログランキング

by sakenihon | 2009-02-08 00:12 | 日本の歴史  

昨日 ダウン!

5日の夜から俄かに発熱しまして、寒気がひどく布団の中でガタガタ震えておりました。

結果、昨日はせっかくの好天にもかかわらず、大量のビタミンを摂取の上、完全活動停止。

ブログ更新もお休みさせていただきました。


幸いインフルエンザではなく、普通の風邪のひきかけだったようで1日で回復!

しかし、楽しみにしておりました、 『上野寛永寺清水観音堂』の年に一度の御本尊御開帳に

行くことができませんでした。  誠に残念!

無理しても行こうかとも迷ったのですが、酒蔵廻り旅の予定も迫っており、体調の完全復活を

優先してしまいました。


明日からまた頑張りまーす!




2つのランキングへ参加してま~す。
お手間をかけますが、ポチっとワンクリックのお恵みを!


日本酒関連のブログがいっぱい!酒ブログランキングへ⇒⇒⇒ にほんブログ村 酒ブログへ

お酒全般!人気ブログランキングヘ  ⇒⇒⇒  人気ブログランキング

by sakenihon | 2009-02-07 00:52 | その他いろいろ  

河村瑞賢 奥羽海運改革 その二

『奥羽海運改革 その一』の続きです。

寛文十年(1670年)、河村瑞賢は幕府勘定方の都築新左衛門から、奥羽(東北)地方の

天領の米を江戸へ運ぶ廻船事業を依頼されます。 瑞賢が53歳頃のことです。

具体的には阿武隈川の河口の『荒浜』から数万石の米を江戸へ、スピーディーに運ぶ方法の

開発です。

依頼を受けてすぐに瑞賢は、番頭をはじめ信頼できる部下を数人選び、江戸から荒浜までの

海岸線と沿岸の港の様子を調査するように命じ、図面も添えて報告書を作成させ、それを

もとに幕府と方策を建議しました。

その結果、瑞賢が出した方針は以下の通りです。

① 港湾整備

  途中の寄港地は常陸(現茨城県)の平潟・那珂港、銚子、安房(南房総)小湊として

  そこには立務所をおいて、船が決められた通りの運航を行っているかをチェックさせる

  とともに、難破などの際の対応策を取りきめました。
 
  当時の各寄港は極めて狭く小さなものであったため、湾口を広げるなどの整備もできる

  限りは行ったようです。


② 船の選択

  廻船に用いる船は、当時東北地方で使われていた『二形船(ふたなりぶね)』ではなく、

  より技術が発達した上方~伊勢・尾張~江戸の航路で使われていた『弁財船』という船を

  使うことにしました。

  『弁財船』は当時の船の中では最も堅牢な船な大型船(300~500石)でした。

  『二形船』の帆は小さな筵帆(むしろほ)でしたが、『弁財船』は刺帆(さしほ)と呼ばれる

  木綿の帆で、より早く走れる船です。
  
  『二形船』は櫓も使いますが、『弁財船』は帆だけで航行でき、より沖合を走ることが

  できます。

  『二形船』は陸地近くから離れずに航行するため座礁する危険性も高かったようです。


③ 安全な航路
  
  航路の難所は房総半島を廻るときと、その後海岸に沿って江戸に向かう箇所でした。

  房総半島の突端、野島崎・洲崎を廻る急な方向転換は、よほど都合よい風が吹かなければ

  帆船では困難でしたので、岬を廻ったところで陸地側に打ち付けられるような遭難が

  大変多かったようです。

  そのために、銚子までで海路をあきらめて、小型の船に乗せ換えながら利根川を遡って

  江戸へ至るという方法がとられていたのです。

  そこで、瑞賢は無理に風に逆らうことをせず、野島崎から風に乗って一旦は伊豆大島へ

  向かい、そこから伊豆下田や三浦半島を経由し、風向きが変わるのを待ちながら徐々に

  江戸へ向かうというルートを取らせることにしました。

  一見遠回りのように思われるのですが、利根川ルートよりは遥かに早く、難破のリスクも

  最小限にすることで、結果的には速く低リスク(=低コスト)での輸送ができると考えた

  のです。


④ 最高の技術とマンパワー

  船頭・水夫は当時技術が優れていた伊勢・尾張・紀伊から熟練したものを選び、その

  船員の妻子を保護して後顧の憂いをなくすように、幕府に約束させました。

  つまり、船員に生命保険を掛けてやったということですね。

  当時の幕府や商人は安く運ぶために目先のことしか考えず、船も水夫も悪く、一刻も

  早く運ぶために天候も顧みず、最短のルートを無理に航行した結果、多くの船と船員が

  船荷とともに海に沈んで、元も子もないという状態でした。

  瑞賢は全く反対の方法(堅牢な船・熟練の水夫・安全なルート)で改革を行ったということです。


⑤ 幕府のバックアップ

  船にはお城米船(幕府御用船)の印の幟(のぼり)を立てさせ、沿岸諸藩・代官に命じて

  その保護に当たらせました。


⑥ 無理な航行の禁止

  船足を定め、沈没防止のため積み過ぎをしないように喫水線を決め、違反がないように

  立務所で検査をさせました。


⑦ 船員のモチベーションアップ

  船荷の御城米の量は厳重に管理し、船員の食糧米は別に寄港地で買って積み込むが、

  その食糧米の量は常に多めに積ませていました。

  しかし、万一遭難しそうな場合は、その食糧米から先に海中に投げ込むように命じました。

  また、航海中の博打を禁じるなど船員には厳しい規律を作ったが、無事に江戸に着いた

  場合は余った食糧米は船員に与え、売って儲かるようにしたそうです。

  『アメとムチ』の管理方法ということですが、船員たちはこれを喜んで受け入れたと

  いいます。

  
  瑞賢が提案した、以上の改革案は幕府がすべて受け入れ、その後の西廻り改革でも

  取り入れらます。

  そしてここでの取り決めが、瑞賢の死後も幕府が定めたルールとして遵守され、

  その後長く明治時代まで続く和船による国内海運の基礎となりました。


  
  おわかりいただけたでしょうか?

  河村瑞賢の改革はすべてといってもいいほど、『全体最適』の考え方が根底にあります。

  目先のコストではなくて、全体を鳥瞰して何を変えるべきか? 問題のボトルネックは

  どこにあるのか?
を的確に把握してから改革を行うのです。

  事前に問題点を徹底的にあぶりだして、その問題が発生しないような仕組み造りを行う

  というやり方は、現代のクオリティーコントロール(QC)の考え方と同じです。

  この21世紀の企業改革の一つとして『物流からロジスティクスへ』といわれますが、

 瑞賢が行った海運改革は『ロジスティクス改革』そのものだと思います。

  
 400年前にこれだけの事業センスをもった経営者がいたということに、本当に驚かされます。


  もし、今の時代に生まれていたらどんな企業人になっていたのか・・・・・・・





2つのランキングへ参加してま~す。
お手間をかけますが、ポチっとワンクリックのお恵みを!


日本酒関連のブログがいっぱい!酒ブログランキングへ⇒⇒⇒ にほんブログ村 酒ブログへ

お酒全般!人気ブログランキングヘ  ⇒⇒⇒  人気ブログランキング

by sakenihon | 2009-02-05 02:41 | 日本の歴史  

本日の一献  《湯島の裏路地の・・・・》

先日、数日にわたって記載した旧上野寛永寺の端に当ります湯島黒門あたりを、

先日うろついて参りました。

f0193752_2401416.jpg以前からチョクチョクお邪魔している『山口』さんという

小料理屋さんです。

名前の通り、山口県出身の女将さんが

和服にカッポウ着姿で切り盛りされている、

10人も入ったらいっぱいの小さなお店です。

山口の食材とお酒が揃っていて、馴染みに

なるとだまっていても顔色を見て、適当に

美味しいものを出していただけますので、

のんべえにはたまらなく落ち着ける一軒です。
ちょうど、今は山口から生きたまま届く『うちわえび』の季節です。(11月~3月)
f0193752_2543976.jpg

伊勢海老やズワイガニもいいですが、このウチワエビも濃厚な旨味と風味が独特な冬の

味覚です。刺身でもいただけますが、蒸した方が私は好きです。

ずうたいの割に身は多くはありませんが、食べたあとの殻で作ってくれるみそ汁もまた格別で、

一年に一回は頂きたい贅沢な一品です。
f0193752_25549100.jpg
いっしょに頂いたのは岩国の酒、『獺祭(だっさい)』の50%。

ここは3割9分と2割4分も揃っていますが、食中酒としては50%ぐらいが丁度いいですね。

やさしい獺祭と濃厚なうちわえびの組み合わせは、もちろんワンダフル! 文句なしです。


実はしばらく前に獺祭、旭酒造の桜井社長にお会いすることがあり、このお店の名刺を渡して

おいたので気になって、今回久々に顔を出した次第です。

私の顔を見るなり女将さんから「桜井社長、見えたわよ!」との報告があり、ほっとしました。

『旭酒造』さんも『山口』さんも益々繁盛していただきたいものです。


ちなみに、こんどの月曜日(2月9日)の16:50~18:00、NHK『ゆうどきネットワーク』

というTV番組の中で6分間ほど『山口』さんのことが紹介されるそうです。

興味が御有りの方はご覧くださいませ。





2つのランキングへ参加してま~す。
お手間をかけますが、ポチっとワンクリックのお恵みを!


日本酒関連のブログがいっぱい!酒ブログランキングへ⇒⇒⇒ にほんブログ村 酒ブログへ

お酒全般!人気ブログランキングヘ  ⇒⇒⇒  人気ブログランキング

by sakenihon | 2009-02-04 03:12 | 本日の一献  

酒蔵めぐり計画作成中・・・・・

来週あたり、JR東日本の『大人の休日倶楽部パス』ってやつを使って、酒蔵めぐりに出かけよう

かと思っております。 現在、スケジュールを作成中。

できるだけ予算は抑えたいものの、この時期の美味しいものに旨い酒も堪能したい・・・・・

しばらく、真剣に悩みますので、更新が疎かになるかもしれません。

悪しからず、です。


主要目的地は弘前と米沢なんですが、『大人の休日倶楽部パス』は函館まで行けるらしい

ので、足を伸ばすか思案中・・・・・・・





2つのランキングへ参加してま~す。
お手間をかけますが、ポチっとワンクリックのお恵みを!


日本酒関連のブログがいっぱい!酒ブログランキングへ⇒⇒⇒ にほんブログ村 酒ブログへ

お酒全般!人気ブログランキングヘ  ⇒⇒⇒  人気ブログランキング

by sakenihon | 2009-02-03 06:55 | その他いろいろ