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河村瑞賢 西廻り航路開拓 その二


河村瑞賢を続けますが、本題に入る前にもう少しだけ時代背景を付け加えます。


なぜ、幕府は東北地方の天領の米(御城米)を江戸へ移動したかったのか?
幕府の上層部が心を砕くような大きな問題があったのか?

この疑問を解くカギは人口問題にありました。

【日本の人口推移】
 1150年 (平安末期)    6,837千人
 1600年 (開幕時)    12,273千人
 1721年 (享保6年)    31,279千人
 1804年 (文化元年)   30,746千人
 1873年 (明治6年)    33,300千人

実は17世紀は日本列島では人口爆発が起こっていたんですね。

1600年~1721年の120年間に人口は2.5倍以上に膨れています。

戦乱が収まり、作物の安定的な収穫ができるようになったことが大きな原因のようです。

その前の450年間では約2倍、その後の150年間では微増ですから、

この120年間の人口増加がいかに急激なものであったかがよくわかりますね。


特に江戸では1657年の明暦の大火以降、急激な人口流入が起こりました。

大火後の市街地再生には多くの人手が必要だったからです。

その後、江戸の街は町並みの整備も進み、著しい経済発展が起こりました。

そして、絶頂期が元禄時代(1688~1703)となるんですね。

反面、慢性的な食糧不足状態に陥っており、幕府にも大きな問題になっていたようです。


さらに、東北地方は人口が少ない割に米の収穫が多く余裕があり、江戸・大阪の大都市圏を中心とした関東以西では人口密度が高く、慢性的な食糧不足というような地域間アンバランスも発生していたのです。

幕府が瑞賢に米の輸送を依頼した1671年は、まさにその状況の真っただ中だったんですね。

そこで、『人口爆発による食糧不足』『食糧の東西アンバランス』の対策として、
幕府は瑞賢にこのような依頼をしたのだと思います。


東廻りに続く、西廻り航路の完成によって、日本列島の物資の動脈が出来上がります。

現在でも同様ですが、すぐれた『物流』がない世界には経済の発展はあり得ません。

このミッションは、その後の徳川幕府の繁栄を左右するといってもいいものだったんですね。

しかし、それも後からわかること。

依頼を受けた瑞賢は”江戸の民衆のため”との想いで、このミッションに挑戦したようです。


前置きが長すぎますねえ~~~
その上、文章が堅い・・・・・・
自己嫌悪。 
でも、書き直す気力も才能もありません。
駄文・長文 お許しください。

明日こそ本編スタートします。

(参考文献)
「人口から読む日本の歴史」 鬼頭 宏著  講談社学術文庫
「河村瑞賢」  古田良一著   吉川弘文館



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by sakenihon | 2009-08-18 00:04 | 日本の歴史  

河村瑞賢 西廻り航路開拓 その一

【西廻り航路開拓ミッションの背景】

1671年に福島県の阿武隈川河口の荒浜と江戸の全行程を海運で結ぶ『東廻り航路』の開拓を成し遂げた瑞賢でしたが、その翌年1672年(寛文12年)には、今度は出羽国(現在の山形県酒田市)から江戸への米の輸送を命じられます。

しかし、日本海側には室町時代からすでに北海道~敦賀間の航路ができていました。

太平洋側に比べて航海技術も優れていたようです。

北海道を目指す上り船の主な積み荷はお米。(蝦夷では米は採れませんでした。)

また下り船は昆布・いりこ・干鮑・ニシン加工品や肥料用に大量な魚肥などを運んでました。

航路は北海道から津軽・秋田・佐渡・能登などを経て敦賀付近まで運びます。

敦賀・小浜付近で陸路に変わり、馬で琵琶湖北岸まで運びます。

さらに琵琶湖の湖上海運を利用しながら伊勢・京都・大阪へと運んでいました。

【北前船の航路】  ピンク=北前船 
河村瑞賢 西廻り航路開拓 その一_f0193752_0455015.jpg
河村瑞賢 西廻り航路開拓 その一_f0193752_0461229.jpg
河村瑞賢 西廻り航路開拓 その一_f0193752_047045.jpg
(千葉県佐倉市 国立歴史民族博物館 展示資料より)

(ちょっと脱線1)
もし、この北前船による商品の移動がなければ、京料理に昆布が使われていなかったかも。
それ以前に”京料理”が存在しなかったかもしれませんね。
しかし、遥か昔からこの海運はあったようです。
敦賀を経て、伊勢神宮へも蝦夷の海産物が奉納されていたのです。
その結果、お正月の鏡餅や結婚の結納品には昆布・スルメ・干し鮑が付き物ですね。
蝦夷の貴重な海産物は神事には欠かせないものだったんです。
もちろん神事には御神酒も欠かせませんね・・・・

(ちょっと脱線2)
福島県の代表的な酒の肴に「ニシンの山椒漬け」がありますね。
のんべえ、大好きです。
会津若松の居酒屋で”自家製ニシンの山椒漬け”で飲んだ”泉川”は旨かった~~~
福島の山間部でニシンを使った料理が存在するのも、山形県酒田付近で降ろされた蝦夷の身欠きニシンが陸路で福島へ流通したためですね。


北前船は輸送代金を稼ぐ運送業でありません。

場所による商品価値の違い、相場を利用して売買で儲ける『動く総合商社』でした。

北前船は江戸期から明治期まで活躍します。

その裏には近江商人の存在がありました。

早くは信長・秀吉の時代から蝦夷を目指した近江商人がいたそうです。

琵琶湖の東岸、彦根・近江八幡、西岸の高島郡付近からも蝦夷へ向かったり、後には自ら北前船の船主となった商人が活躍し、日本海を取り巻く貿易を発達させました。


このような状況の中で、幕府は近江商人や既存の船主ではなく、河村瑞賢に酒田からの米の輸送を依頼したのでしょう?

その理由としては、
 ① 時間短縮 いったん陸路を通り琵琶湖・大阪と経由するので時間がかかっていたため。
 ② コストの削減 陸路の途中の積み替えの度に米がこぼれたり、通過する領地主への手数料が掛っていたため、陸路を省略したかった。
 ③ 安全な航行 太平洋ほどではなくとも船の難破があり、もっと確実な航海にしたかった。
     などの理由が考えられます。

つまり、敦賀からの陸路は使わず、直接船で下関を廻って瀬戸内海を抜け、大阪から江戸まで安全に運べというミッションです。
それまでに挑戦した人はいたのですが、満足がゆく結果にはならなかったそうです。 

 それにしても、当時は正確な日本地図もなく、どこにどんな港があるのかなどの情報も皆無。
 それどころか、瑞賢は日本海さえ見たこともなかったはずです。
 はるかに遠い西国まで関係してくるミッションです。
 よく引き受けたものです。
 ”感心”を通りこして、呆れてしまいます。

 が、瑞賢はこのミッションも何と1年でやってのけるんです!
 宇宙人か? 


注) 「北前船」の”北前”とは上方から見た日本海を表す言葉だそうです。
   「北前船」と呼ばれたのは、西廻り航路が出来上がり、
   上方や瀬戸内の船が日本海へ向かい始めて後のことです。
   本文中の時代では日本海での呼称である「ベザイ船」や「バイ船」と
   表記するのが適切なのですが、解りやすかを考えて敢えて「北前船」で通します。




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by sakenihon | 2009-08-17 02:17 | 日本の歴史  

河村瑞賢 西廻り航路開拓まで

今日はカミサンの実家(国分寺市)へ行ってきました。

東関東自動車道成田ICから首都高を通過して、中央道の国立府中と、片道130kmの往復。
1000円割引きの影響で、例年になく首都高が混んでいるとの情報もあってハラハラ。
しかし、幸い大変スムーズな流れで行って帰ってこれました。 
日ごろの行い、良かったかなあ? (あまり自信ないけど)

ふーっ!でも疲れた・・・・
まあ、お盆ぐらいは孫の顔も見せないとね・・・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、河村瑞賢です。
まずは前回(1月20日~2月9日)書いてた内容をザッとおさらいさせてください。
なにせ書いた本人が忘れてますもん。

以前書いたものを読み返すと、結構よく書けてるし面白いことに驚いた。(自画自賛で失礼)
最近の文章は面白くないですな、堅苦しいです。 我ながら。
初心に戻らなくっちゃ・・・・・・大反省中


【東廻り航路開拓までのまとめ】
1618年 
    伊勢の国東宮村(現 三重県度会郡南伊勢町東宮)にて河村瑞賢生まれる。
    祖父までは武士だったが、戦国乱世に父の代で帰農し、瑞賢は農民として生まれる。

1630年 (13才)
   父は瑞賢の才智を見込んで江戸へ行かせた。
   東宮~江戸は古くから海運関係があり、江戸の事情が入りやすかった。
    詳細はこちら⇒1月20日の記事

1638年頃~ (20才~) 
   江戸で車力(荷車引)として働くもうまくいかず、20才の時上方へ向かおうとする。
   その旅の途中、品川の海で盂蘭盆の瓜や茄子が波間に漂うのを見る。
   それを拾い集めて漬け物を作って売り始める。

   普請場(工事現場)の昼飯時に漬け物を売り歩く。
   その過程で幕府普請役の役人と知り合い、信頼を得て人夫頭となる。
   この経験で土木・工事・材木についての知識を得る。
   また、知り合った材木問屋の船で伊勢へ帰省、銘木の産地 尾州知多にも出向き、
   人脈を得るとともに材木と船・航海の知識を得る。
    詳細はこちら⇒1月21日の記事
   その後、土木業・材木業として独立。

1657年1月18日 (40才)
   明暦の大火(振袖火事)が発生する。
河村瑞賢 西廻り航路開拓まで_f0193752_2292481.jpg
  (江戸東京博物館展示資料より・クリックで拡大します)

   火は断続的の3日間燃え続け、江戸城を始め、ほとんどの大名屋敷を消失させた。
   瑞賢はそれを見るや、全財産を持って夜を日に継いで尾州知多へ一目散。
   できる限りの高級材を買い占めた。
   さらに、江戸へ材木を運ぶための船も抑えた。
   幕府や多くの藩からの屋敷再建を請け負い、莫大な財産を築いた。
   詳細はこちら⇒1月30日の記事

  その後も多くの普請を請け負い、それらを非常にうまく行い評判が増し、
  幕府からも信用を得てゆきます。

  瑞賢の成功は財産ではなくて、多くの人からの信頼を得られたことなんですねえ。
  やっぱ、人徳がないと人間ダメですねえ。  
  わが身を振り返り、落ち込むのんべえ・・・・・・ああぁぁ・・・


    (ちょっと面白いエピソード)
    「芝増上寺の鐘楼の移動」と「上野寛永寺の屋根瓦修理」のお話
    以前、お読みになっていない方はこちらもどうぞ
     ⇒ エピソード 「出題編」
     ⇒ エピソード 「解答編」

1670年 (53才)
  幕府より、奥州(福島県)の天領米数万石を江戸へ廻漕(船で運ぶ)ように命ぜられる。
  迅速な調査・情報収集・準備に加えて革新的な方法で、これを翌1670年に成し遂げた。
  それまで海運に従事したことがなかった瑞賢が、従来1年以上要していた輸送を50日程度で行ない、さらに一隻の難破・事故もなかったことは、当時の海運事情からすれば驚くべきことだった。 
  これが、『東廻り航路』の開拓です。

  詳細はこちらをご覧ください。(すっごく長いけど・・・・)
    河村瑞賢 奥羽海運改革 その時代背景と経緯
    河村瑞賢 奥羽海運改革 その一
    河村瑞賢 奥羽海運改革 その二
    河村瑞賢 奥羽海運改革 その三

  江戸時代、50才を過ぎてから大事業を成し得たというのは凄いじゃありませんか!
  今、のんべえ自信がこの年代ですが、比較するのも恥ずかしくなります。
  
  しかし、これはまだまだ瑞賢の業績の序章にすぎないんです。
  なにせ、80歳過ぎるまで全国を駆け巡りながら、多くの事業を成し遂げるんですから。
  それも私利私欲ではなくて庶民が豊かになるために、私財をなげうってでもというスタンス。

  まるで、松下幸之助さんと田中角栄さんと水戸黄門さんを足したような人ですわ。 

  奥州米の廻漕の大成功を見た幕府は、
  その翌年今度は出羽国(山形県)からの米の輸送を命じるのです。

  これが、『西廻り航路』開拓のスタートとなります。  
    
河村瑞賢 西廻り航路開拓まで_f0193752_2234946.jpg



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by sakenihon | 2009-08-16 02:26 | 日本の歴史  

河村瑞賢 ふたたび


唐突に”河村瑞賢”の伝記を半年ぶりに再会したいと思います。

先日、勝鬨橋から隅田川の流れを眺めてて、中断してたことを思い出しました。


河村瑞賢は日本国内の船による物流システムを構築した人です。

東北・北陸で収穫された米を大阪へ運び、灘・伏見の酒を江戸へ運ぶというような、

日本各地の産物や物資の移動の仕組みを作り上げた人です。

伊勢の田舎から出てきた農民であるにもかかわらず、大八車の車力から身を起こし、

最後は将軍に謁見するまでになった、凄い人です。

河村瑞賢の功績がなければ、江戸時代の歴史が少しは変わっていたのではないか?

江戸の庶民が手軽に日本酒を飲めていなかったのではないか?

もし、現代に瑞賢がいて、総理大臣になれば今の日本ももっと良くなるだろうなあ・・・

なんて、考えてしまいます。


前回は瑞賢が伊勢から出てきて、”東廻り航路”を開拓するまでを、延々と記載しました。

しかし、これは瑞賢の功績のほんとの端緒だけです。

そのあとに、西回り海運、大阪の治水、鉱山開発、など大きな功績を残しています。

できるだけ、簡潔にまとめたいと思います。


右下のタグに”河村瑞賢”がありますので、ここで関連の過去記事をご覧いただけます。

もし、ご興味がある方はご覧ください。


興味のない方には申し訳けございません。
しばらくシカトしてください。

河村瑞賢 ふたたび_f0193752_2523286.gif




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by sakenihon | 2009-08-14 03:03 | 日本の歴史  

『桂川』 群馬県前橋市 柳澤酒造

先週、群馬県のアンテナショップ『ぐんま総合情報センター』で見つけたお酒。

『桂川』 群馬県前橋市 柳澤酒造_f0193752_21124640.jpgこのラベル表記が気になりました。

たしかに、数値データがあるのは便利だけど、

その先入観に惑わせれるということはあるかも。

結局は舌と鼻がどう感じるかだもんね。

でも、ここまで書くからには自信があるんだろう・・・

のんべえの興味をうまくくすぐってくれました。



先週は”品切れ”でしたが、今週再来店で購入してきました。
『桂川』 群馬県前橋市 柳澤酒造_f0193752_21384126.jpg
群馬県前橋市の柳澤酒造さんというお蔵のお酒.
『桂川(純米吟醸)』
『桂川』 群馬県前橋市 柳澤酒造_f0193752_2147447.jpg


これもいいお酒でした。

吟醸香はローズ系というところでしょうか。
上立香、含み香ともにしっかり楽しめます。
甘口だと思うのですが、酸味もしっかりしているので甘ったるさはなくて、サラリとしたライト系。
純米ですが、変な米っぽさは感じません。
スイカのような軽い甘酸っぱさは夏向きかも。

食中酒というより、食後にチビチビ楽しみたい一杯でした。


このお蔵さん、もち米を使った四段仕込みを伝統的に行っています。
それに対照的に若き兄弟杜氏さんが『結人(むすびと)』という銘柄を立ち上げ、
注目されつつあるようです。
こちらも是非、試してみたいものです。

旨いお酒は各地にまだまだ沢山ありますね。
嬉しくなってしまいます。

この酒蔵さん、ホームページは何年も更新されてないようですが、
YouTube動画がありました。

 柳澤酒造紹介動画 => こちら

 副杜氏さんからのメッセージ動画 => こちら



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by sakenihon | 2009-08-12 23:18 | 本日の一献  

岩手県 宮古 千両男山

岩手県のアンテナショップ『いわて銀河プラザ』で見つけた、菱屋酒造さん
『千両 男山 特別純米 銀河の流れ』
岩手県 宮古 千両男山_f0193752_0324154.jpg

御覧のラベルからはポリシーが、今一つ伝わってきません。
しかし、「田酒を醸した杜氏さんが造った酒」と知って、つい手にとってしまった酒。

飲みました。
田酒云々は忘れて、先入観なしの感想を簡潔に。

食中酒として、かないいいです。
ひとことでいえば、”バランス”がいい。
酸味・旨味・甘みがどれもしっかりながら、出しゃばってません。
だから食事をうまく引き立てます。
すこし甘口なので、料理の味も薄味が良いと思います。

冷酒、常温、燗酒、どれでもOKでした。
4合1180円は地元価格ですね。 お得すぎます。
4合があっという間に空になり、今度は1升瓶で買いたいけど、一升はないみたい。


いい杜氏さんがいて、いい酒があるのに、営業力とかマーケティング力が不足しているだけで埋もれてしまっているお蔵さんなのかも。 残念です。
一度訪れたいお蔵さんに加わりました。





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by sakenihon | 2009-08-11 02:10 | 本日の一献  

ブラブラ終着 勝鬨橋(かちどきばし)

銀座から晴海通りのブラブラ歩き。

ぎょぉ! 魚のビル? 
と思ったら、ビジネスホテル。 さすがは築地。
ブラブラ終着 勝鬨橋(かちどきばし)_f0193752_153499.jpg


そして終着の”勝鬨橋”はもう夕暮れ。
歩いて渡るのは初めて。
ブラブラ終着 勝鬨橋(かちどきばし)_f0193752_0503075.jpg

橋中央部分が跳ね上がる可動式の橋。
1940年完成で、今は跳ね上がることはもうありません。
歩くと、真ん中部分だけガタガタ揺れることがよくわかります。
可動部は今でも固定されてないんですね。 
高所恐怖症ののんべえはハラハラドキドキ。
ブラブラ終着 勝鬨橋(かちどきばし)_f0193752_0254818.jpg

橋の右側の高いビルはニチレイの本社。 左が築地市場。
すごく納得の組み合わせ。
ブラブラ終着 勝鬨橋(かちどきばし)_f0193752_031448.jpg
(左への横連続写真)
ブラブラ終着 勝鬨橋(かちどきばし)_f0193752_0351318.jpg
(さらに左へ連続)
東京タワーも視界の中。
ブラブラ終着 勝鬨橋(かちどきばし)_f0193752_0384698.jpg
(さらに左へ)
魚河岸はここへ来るずっと前、江戸時代には日本橋の野村証券本社の場所にあったそうです。
灘からの”下り酒”を運んできた五百石、千石の樽廻船の姿を思い浮かべてしまいます。
でも当時の河はこんなに大きくも深くもなかったんでしょう。
ブラブラ終着 勝鬨橋(かちどきばし)_f0193752_0402625.jpg

下の写真の高いビルは”聖路加タワー”
このビルの先が八丁堀あたり。 
河村瑞賢の自宅があった霊厳島もそのあたりだったそうです。
ブラブラ終着 勝鬨橋(かちどきばし)_f0193752_122824.jpg

中断したままの”河村瑞賢伝”を久々に再開したくなりました。



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by sakenihon | 2009-08-10 01:11 | 日本の風景  

のりぴー事件に想う

のりぴー事件、ビックリしました。
人には裏と表があるものと解ってはいたつもりですが・・・・・


アルコールと違法ドラックでは、その薬理作用、常用性、依存性、では大きく違うのだと思います。

違法ドラックを服用することはもっての外であることは言うに及びません。


しかし、アルコールも常用性、依存性を有しており、飲み方一つで毒にもなります。

のんべえとしては全くの他人事とは思えません。


人には”心の隙間”が生まれることがどうしてもあります。

頑張れば頑張るほどその反動で、隙間が広がるということもあります。

そうゆう時、酒の力を借りて精神的に乗り越えたこともありました。


しかし、人によっては、そのままアルコール依存症になってしまうこともあります。

アルコールも一種の薬物であることに違いはありません。

正しい飲用方法と、間違った飲用方法を知っておくことは大切なのではないでしょうか。


佐賀県酒造組合のサイト内のコラムに組合長の天吹酒造蔵元さんの一文があります。
『学校教育にない「酒育」のすすめ』というタイトルです。
共感し、以前から紹介の機会を探しておりました。

ご一読ください⇒ ⇒ ⇒佐賀県酒造組合コラム

未成年者は飲んではいけない。
だから未成年にはお酒の飲み方は教えない、教えられない・・・・・
それでは間に合わない現実が、今そこにあります。
三人の娘を持つ親として、考えざるを得ない問題です。



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by sakenihon | 2009-08-08 23:56 | 日本酒と健康  

八丈島のくさや

いつもこのブログにコメントいただいている、三宅島のmbabanomeさんのブログ『目指すはjunk garden』で、三宅島のお祭りの様子が詳しく紹介されています。
八丈島のくさや_f0193752_11181718.jpg
噴火による全島避難解除後、初めての大きなお祭りということで滅茶苦茶気合いが入ってます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

先日の銀座ぶらり散歩の途中で、のんえべも「東京のまつり」に遭遇しました。

築地本願寺境内で夏祭りやってました。
八丈島のくさや_f0193752_22511368.jpg

こちらは、いかにも都会の納涼祭です。
でも、場所が場所だけに迫力ありました。
八丈島のくさや_f0193752_22515323.jpg

築地という”地の利”で模擬店も”模擬”ではなくて”プロ”の店がずらり。
この後の飲み会の約束がなければ、ここで2~3杯飲んでいたでしょう。
八丈島のくさや_f0193752_2256306.jpg

八丈島からの出店もありました。
(残念ながら三宅島ではありませんでした・・・)
八丈島のくさや_f0193752_22571334.jpg

思わず、”くさや”を購入。
昔、八丈島の民宿で朝食に出た”くさや”以来、くさやは大好きです。
都内でも焼いた物とか、瓶詰は手に入るのですが、堅いんです。
新鮮でやわらかい”くさや”はあまりないんですよ。
八丈島のくさや_f0193752_233256.jpg

家で焼くとまたまた家族の嫌われ者です。
カミサンには「近所迷惑でしょ!」と叱られました。
まあ、そんなこっちゃメゲませんがね・・・・


”三宅島の祀り”と”築地の祭り”、どちらもそれぞれ”現代東京のまつり”ですね。
その幅の広さが面白い。




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by sakenihon | 2009-08-07 23:08 | 日本の風景  

東銀座 三原橋交差点界隈 つづき

カラッとしない日が続きます。
梅干しを干せずに困ってます・・・

さてさて、昨日のつづきです。

東銀座・三原橋交差点の群馬県アンテナショップ『ぐんま総合情報センター』を出て約100歩。

今度は岩手県のアンテナショップ『いわて銀河プラザ』を発見!
晴海通り沿い、歌舞伎座の正面です。
東銀座 三原橋交差点界隈 つづき_f0193752_16504627.jpg
日本橋~銀座~有楽町~新橋は各都道府県のアンテナショップの集積地ですね。
各地の新鮮な特産品が手に入る、全国でも稀なエリアですね。

当然、目指すは地酒コーナー。
おお! これは、充実の品揃え。 
各県アンテナショップの中でもこの陳列スペースは最大級です。
すべて冷蔵保管というのもアンテナショップでは珍しい。
写真には写ってませんが、さらに横にリーチイン冷蔵庫があります。
生系・大吟醸系はそちらに保管されています。
さすがは南部杜氏の古里、岩手県。
東銀座 三原橋交差点界隈 つづき_f0193752_16584010.jpg

最上段の手前のある変わった形のボトルは『あさ開』さんの『水の王』ですね。
本当に水のような、低アルコール大吟醸酒。 (”水のような”は、誉め文句なのかな?)


ここでまず目にとまったのがこれ。東銀座 三原橋交差点界隈 つづき_f0193752_17205561.jpg
東銀座 三原橋交差点界隈 つづき_f0193752_18424440.jpg

酔仙酒造さん『雪っこ』
「活性原酒」と表記があるにごり酒。

「酵母や酵素は生きている生のお酒だが、醗酵は休止している状態」だそうで、噴き出す心配はないようです。
東銀座 三原橋交差点界隈 つづき_f0193752_18532297.jpg
火入れせずに、どうやって発酵を”休止”させているのか?
チョット不思議なお酒です。
ワンカップまでありましたので、今回はワンカップを購入。

このお酒、醸造用アルコールばかりでなく”糖類”も添加されています。
かなり甘めに造ったお酒のようです。

これとそっくりのお酒が土佐高知の赤岡という海辺の町にありました。
高木酒造さんの『おり酒』です。
火入れはしていますが、やはり敢えて糖類を添加しているにごり酒です。

高木さんによると、(特に高齢の)漁師さんから人気絶大なんだそうです。
特にワンカップが人気なんだそうです。
船上で潮風にあたりながら疲れた体を休めるには、濃厚な甘さと手軽なワンカップがいいのかもしれません。

話が脱線したようですが、酔仙酒造さんがある陸前高田市も岩手県南部の港町です。
それもカツオやマグロなどの遠洋中心の漁師町です。

酔仙酒造さんも高木酒造さんも、北と南で離れてはいるけれど、遠洋漁師さんがお客さんの酒蔵。
そこに、糖類添加の甘いにごり酒が残っているのは偶然ではないように感じますよね。
疲れを癒す日本酒は、日本人の労働とも深いかかわりがあるということでしょうね。

今宵は頭にタオルでも巻いて漁師になった気分でカップ酒?
でも、パソコンばかりで運動不足ののんべえには、この酒の味はわからないかもなあ・・・


そして、もう一本。
東銀座 三原橋交差点界隈 つづき_f0193752_1859648.jpg
宮古市の菱屋酒造さん
『千両 男山 特別純米 銀河の流れ』です。
(岩手県は宮沢賢治の影響で、”銀河”が多いですね。)

菱屋酒造さんは岩手県中部の漁師町、宮古市で嘉永5年(1852年)創業の小さな酒蔵さん。

お世辞にも洗練されているとはいえないラベルデザインのこの酒を選んだ理由は、この商品POPの殺し文句
東銀座 三原橋交差点界隈 つづき_f0193752_19154720.jpg

田酒を醸していた杜氏さんと聞けば、飲んでみたくなります。
辻村杜氏のことは存じませんが、いつ頃まで西田酒造さんにおられたんでしょうかね?
もう随分なご高齢なんでしょうか。
お詳しい方、教えてくださ~い。



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by sakenihon | 2009-08-06 19:55 | 日本の風景