久々に『酒の向こうに日本が見える』のタイトル通りの内容になっているような
懐かしい気がします。
やっぱり時々、出かけないといけまんね・・・・・
ということで、今回は多くの方が興味を感じない内容になってしまいそうですがご勘弁!
尾崎酒造さんを後にして、鰺ヶ沢の港の前にある【海の駅】に寄り道。

二階には『鰺ヶ沢相撲館』なる入場無料の施設が・・・・

さすがに海の幸は豊富で安い! でも、旅は始まったばかり、買っては帰れません。残念!


ここで少し遅い昼ごはん。 やっぱり青森はホタテ。 で、『帆立ラーメン』。

きざんだナルトや竹輪、ワカメなんかがグチャグチャッとのっかているいるあたりに
ローカルっぽさを感じてしまいますが、さっぱり塩味で美味しかった。
敢えて言えば”ゴマ油”はチョット邪魔だったかな・・・
【安東水軍について】
ここで「安東水軍」について簡単に触れさせてください。
江戸時代、各藩は領地から集まった年貢米を貨幣に換えるために、”天下の台所”大坂へ
お米を運ぶ必要があったんですね。
弘前藩がお米を大坂へ運ぶ場合、岩木川の舟運(しゅううん)を使って河口の十三湖まで運び、
その後、小型の船で海岸伝いに鰺ヶ沢まで運んで集積して北前船に積み替えて敦賀~大坂に
運んでいたそうです。 なるほどね~

時代はもっとさかのぼって、鎌倉~室町時代に十三湖の河口付近に十三湊(とさみなと)
という港町が栄えていたそうです。
その十三湊を中心に海洋兵力を擁し、津軽から秋田付近で勢力を誇っていたのが安東氏
という豪族。 それが『安東水軍』だそうです。
十三湊の遺構からは中国製の陶磁器、高麗青磁器などが出土しており、当時は博多と並ぶ
国際貿易港として栄えていたということです。
こんな辺鄙なところ(ごめんなさい!)にそんな街があったなんて、ロマンです。
のんべえの勝手な想像ですが、蝦夷地とも深い交流があったでしょうし、アイヌ民族を通して
樺太~アリューシャンとの交易もあったんでしょうね。
そんなことを考えながら、鰺ヶ沢の海を眺めていました。

サッ、弘前に戻ろう!
まだまだこの日の酒蔵巡りは続きます。
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# by sakenihon | 2011-09-11 11:50 | 酒蔵めぐり