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『北海道と甲類焼酎の歴史』 に新展開!?

まるで夕刊ゲンダイの見出しのようなタイトルですみません。

”北海道で甲類焼酎消費が多い”について、【日本酒好きの北海道人】cordis様
コメントをお願いしたところ、ホ~~ッ!の情報をいただきました。

(以下、cordis様のコメント抜粋)
『サッポロソフトや大五郎などの4リットル焼酎の消費量が押し上げている原因だと思います。』

『北海道と甲類焼酎の歴史』 に新展開!?_f0193752_130989.jpg『北海道と甲類焼酎の歴史』 に新展開!?_f0193752_1335549.jpg
この中にある「サッポロソフト」ってご存知ですか?
のんべえにとっては、これまた初耳。
調べて納得。
北海道限定の甲類焼酎でした。

製造者は札幌酒精工業株式会社
昭和8年創業のどさんこ醸造者さん。
道外への販売は通販のみ。
(サッポロビールとは無関係)


そして、その札幌酒精工業さんのホームページの中に『札幌酒精歴史館』なる記事が。
そこには「ホ~~ッ!情報」が満載でした。


長くなりますが、冒頭部分を引用します・・・
「昭和初期の北海道では農業の豊作に加え水産関連も豊漁で、それに伴い酒類の消費が増大して異常な不足現象が生じておりました。
こうした状況の中、当時の道内メーカーによる焼酎生産量は本道消費量の半分に満たないものであったことを踏まえて当社創立の立役者である金子朔太郎(後の当社会長)は当時道内には生産過剰で捨てられる大量の馬鈴薯や澱粉粕があることを知ったことから、これを焼酎原料として使用することに着目しました。
これは、原料を本州からの輸送に頼っていた当時としては原価を下げるばかりでなく本道の農業振興にも大きく役立つものであるとの確信から、道央に新規の焼酎製造所を設けることを決断させる要因となりました。」

今回ののんべえの推測とほとんど重なる内容でほっとしました。

北海道の開拓が進み、働き盛り、飲み盛りの労働者人口が急増(=需要の増加)し、同時に地元産の原材料が豊富に発生したことで、地元産のアルコール飲料の製造が加速され独自の飲酒文化が出来上がったんですね。

この、『札幌酒精歴史館』の記事は全5ページの長文ですが、日本酒ファンの方々にもご一読をお勧めしたい内容です。
戦前~戦中~戦後の日本の酒造業界が置かれた歴史が赤裸々にまとめられています。

本文中では「合成清酒」として記載されていますが、現在では超悪者扱いの三倍増醸酒生産の苦労など、大手のメーカーでは書きたがらない内容が多く、非常に具体的で勉強になりました。
( 「冥土の酒にご注意!」という北海道新聞。 是非クリック拡大して見てくださいね。)

三増酒も金儲けのためではなく、国の米統制政策によってそれしか作れない経済状況だったんですね。
当時の状況がよくわかり、まさに『酒の向こうに日本が見えた』面白い読み物でした。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【おまけ】

【日本酒好きの北海道人】cordis様への謝意を込めて、くどき上手蔵元『亀の井酒造』さんの外観写真です。
「くどき上手」「スーパーくどき上手」については【日本酒好きの北海道人】へどうぞ。

山形県鶴岡市から車で約30分。
訪れた日には全員で青森県の『豊盃』三浦酒造さんへ研修旅行中で、蔵の中へは入れず。
蔵の廻りの空気を吸っただけで退散。 残念!
『北海道と甲類焼酎の歴史』 に新展開!?_f0193752_2255911.jpg
『北海道と甲類焼酎の歴史』 に新展開!?_f0193752_2262176.jpg

蔵の周りは一面のさくらんぼ畑。 今年もちょうど今頃はこうゆう風景に囲まれているはず。
『北海道と甲類焼酎の歴史』 に新展開!?_f0193752_2263352.jpg


お粗末でした。



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by sakenihon | 2009-07-09 02:39 | 日本の歴史  

青森・北海道は焼酎王国!?

前々回、気温の高低とお酒の好みの勝手な分析をしました。

最後に焼酎の続編の予告をしました。

その後に青森の三浦酒造さんの『ん』を取り上げて、かなり持ち上げました。

この流れ、のんべえなりストーリーを仕立たつもりなんです。


日本酒では細かいデータを載せすぎ反省。
今回は簡単に都道府県別の成人一人当たり消費量ランキングにまとめました。
消費量が多いベスト10と少ないワースト10です。

データ出典元⇒(平成17年度の国税庁データ)

青森・北海道は焼酎王国!?_f0193752_0454796.jpg

ベスト10のなかの7県は九州・沖縄が占めており、予想通りです。
ところが、 5位には青森県、7位に北海道がランキング。 
これはチョット意外。


これを甲類焼酎と乙類(本格)焼酎に分けてランキングしてみると・・・                       もっと面白い結果になりました。

まずは、乙類(本格)焼酎のランキングから・・・
乙類とは最近は「本格焼酎」とも呼ばれる、麦・芋・米・そば・黒糖・・・などなどの特定原料を使い、それらの原料のデンプン質を麹の力で糖化したの後、単式蒸留機を使って蒸留した焼酎。 
それぞれの原料の風味を楽しめ、昨今の焼酎ブームを牽引しているお酒たちです。

ベスト10は九州・沖縄全県+山口・島根となっており、納得のランキングです。
ワースト10は反対に北海道以下、北日本・東日本エリアばかりです。
まあ、順当な結果ですね。

青森・北海道は焼酎王国!?_f0193752_0523349.jpg

注) ここには数値データをつけていませんが、鹿児島・宮崎は異常に数値が高く3位の沖縄と2倍近い開きがあります。これは、森伊蔵や魔王を始め人気銘柄が蔵直通販(酒蔵→エンドユーザー)で販売されている影響が出ているのだと思います。
消費の実態は大都市圏がもっと頑張っているのではないかと思いますが、小売販売量から消費量を推計しているデータの限界です。


次に甲類焼酎のランキングを見てみましょう。
甲類の焼酎とは、糖蜜やサトウキビなどを主原料とすることが多く、最初から材料が糖分を持っているので糖化の工程が不要となります。(あくまで一般論です。)
連続式蒸留機を使って蒸留します。
乙類に比べて低コストで高アルコール度のお酒の生産が可能。
お酒自体の風味が少なく、主に酎ハイなどの”割りもの”や梅酒などの果実酒用に使われるお酒です。
(日本酒に使う「醸造用アルコール」もこのお酒の仲間ですが、当然このデータには含まれていません。)


なんと、甲類焼酎のランキングは乙類とは全く逆の順位です。
一位がなんと青森県、二位が北海道と、北日本~東日本がズラリ!
ワーストの一位が沖縄、二位が鹿児島ですから、甲乙・南北で嗜好が真逆ですね。
青森・北海道は焼酎王国!?_f0193752_123788.jpg


こんなこと常識!の方も多いと思います。
でも、九州出身ののんべえにとっては大変新鮮な情報でした。

北海道~北東北で甲類焼酎が多く飲まれるようになった理由をのんべえなりに勝手に推測します。

① 北海道でも江戸期から日本酒は飲まれていたが北前船で運ばれた灘の酒や青森からの輸入酒。明治期に入って多くの開拓者が北海道に渡ったが、高価で庶民が気安く飲めなかった。

② 寒すぎて、飲んですぐに温まる高アルコール飲料が求められた。
  (甲類焼酎は陰陽からいうと、最も身体を冷やすのですが、飲んだ瞬間一時的には血流が良くなることで温かくなります。ですから、飲み続ければ寒くはなりません。これはロシアのウォッカの飲み方と同じです。)

当時はストレートで飲まれていたのだと思いますが、現在では牛乳割り、オンコ・マタタビ・コクワ・キイチゴ・ヤマブドウ・シソ・ウメ・アケビなどの果実酒割りなど、北海道らしい飲み方で楽しまれているようです。

そういえば、鍛高譚(タンタカタン)という焼酎がありましたね。 
あれを造っている合同酒精(現オノエングループHD)は道内のいくつかの焼酎メーカーを吸収合併して、明治33年に旭川に焼酎工場を造って大きくなった会社のようです。
日本に連続蒸留機が入ってきたのが明治28年頃、大量生産が開始されたのが明治40年代ですから、ほぼ符合しますね。
米以外の北海道産の安い原料を使って、廉価なアルコール飲料が地元で大量生産されるようになり、一挙に甲類焼酎が北海道に定着したのでしょう。

③ 青森、秋田、岩手へは北海道文化の逆輸入による普及ではないかと思います?

以上がのんべえの勝手な憶測でした。

【まとめの一言】
『気温が低いエリアでは日本酒の消費が多いのでは?』という最初の仮定は、以上のように外れていたようです。
部分的には正しいところもあるのかもしれませんが、一般的傾向とは言えませんね。
お酒文化や歴史をそんなに簡単にを考えてはいけないということですね。

単純な気温ではなく、稲作文化や米の収量と比較すればよかったのかも?
江戸時代の地方別の米の実収穫量のデータなんかがあればいいですがねえ・・・

超長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
専門外の焼酎ネタになってしまいました。
間違っているかもしれません。
しかし、ここまでの推理ゲーム楽しかったですわ。


ヤバい! こんな時間だあ。



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by sakenihon | 2009-07-07 03:48 | 日本の歴史  

気温と日本酒消費の関係

1月26日に『食物の陰と陽』というテーマで書いた際に、「国内の都道府県別気温の高低と日本酒の消費量には相関がある」という仮説を検証するとお約束しておりました。

ようやく、そのご報告となりました。
こんなに時間がかかった最大の理由はエクセルのデータをこのブログにキレイに張り付ける方法がわからなかった、ということ。

(エクセルのカメラ機能でペイントに貼り付けJPEGファイル化して、写真と同じ要領でブログにアップしています。もっといい方法があったら教えてください。お願いします。)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さてさて、本題。

【仮説】
焼酎は身体を冷やす効果が高く、日本酒は冷やす効果が少ないという陰陽の理論から以下のような仮定をしました。
① 気温が高い県では日本酒(清酒)消費量が低く、気温が低い県では消費量が高い。
② 焼酎は日本酒の反対に気温が高い県ほど消費量が多い。

【使用データ】
これを検証するため、都道府県別の「成人一人当たり日本酒消費量」と「平均気温」のランキングを比較しました。
日本酒の消費量は国税庁酒税統計DBの平成17年のデータを使用しました。
平均気温は総務省の気象統計の平成17年度データを使いました。

この二つのデータに相関があれば消費のランキングが高い県ほど気温のランキングも高くなっているはずです。

【結果】
以下が成人一人当たりの日本酒消費量のベスト10とワースト10の都道府県です。
気温と日本酒消費の関係_f0193752_13584617.jpg


結果としては、「気温が高い県では日本酒消費量が少ない」という傾向はあるようですが、「気温が低い県は日本酒消費が多い」とは言えないようです。
特に最も気温が低い北海道・岩手・青森の日本酒消費が多くなかったことは意外でした。

日本酒消費が多いのは平均気温が11℃~15℃の日本海沿岸の都道府県が多いようです。
これは稲作に向いたエリアということではないでしょうか。
日本酒消費は単純な気温の高低ではなく、原料米との関係の方が強いということですね。

当たり前の結果のようですが、現在のように物流・流通が発達した時代においても、
「産地=消費地」の傾向が強いところに日本酒飲酒の歴史を感じます。
稲作と日本酒の結びつきは日本人のDNAの中に擦りこまれているのかも・・・

ただし、例外もありました。
和歌山県、高知県、佐賀県は平均気温が高いにもかかわらず、日本酒消費が多いのです。
気温と日本酒消費の関係_f0193752_14362329.jpg

   高知・和歌山・佐賀の共通点といえば、捕鯨をはじめとする遠洋漁業が思い浮かびました。
   そういえば高知県には酔鯨というお酒もありましたね。
   佐賀県には鯨の軟骨を酒粕に漬けた松浦漬なんて珍味もありました。
   高知の漁師さんは暑い盛りに甘~いにごり酒のワンカップをグビグビ飲むそうです。
   アルコール飲料というより糖分補給のビタミン剤の位置づけなのか?

   漁師さんには焼酎よりも日本酒が合うイメージですね。
   『漁業と日本酒』も面白そうなテーマですね。


思ったような結果にはなりませんでしたが、イロイロわかって面白い作業でした。

次回は焼酎の消費量を分析してみたいと思います。



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by sakenihon | 2009-07-04 23:38 | 日本酒と健康  

『國酒』とは?

今日は、いかにも梅雨といった一日。
外に出る気もありません。

ようやくカミサンの賛同も得て、梅干しを作ってみることになりました。
もうシーズン終わりかけてますが、昨日買ってきた梅をこれから洗おうかというところです。

週末に小難しい話題が続いてしまいますが、『國酒』という言葉をご存知でしょうか?
「酒米の調達方法」の中でこの言葉を使いましたら、yutakahashi さんから”聞きなれない”とのご指摘をいただきました。
のんべえも『國酒』を知ったのはホンの最近、酒蔵巡りを始めてからです。

しかし、醸造業界にはかなり浸透した”業界用語”のようです。
今回、酒米について調べている過程で、偶然こんな記事に遭遇しました。

醸界タイムスの最新記事。(醸界タイムスってネーミングもなんか凄いですね。)
日本酒造組合中央会第56回通常総会 國酒誇る「沖縄宣言」採択
 
結構長い記事ですがポイントは、
  ① 日本酒造組合中央会の総会が始めて沖縄県で開催されたこと
  ② 「沖縄宣言」を満場一致で採択
    伝統民族酒である國酒(日本酒、本格焼酎・泡盛)の製造業者が「國酒として誇りうる酒造り」を行う決意を表明し、法制において國酒たる明確な位置づけを求めた。
  
ということのようです。
つまり、『國酒』とは日本酒と泡盛を含めた本格焼酎であり、そのことを法的に明確にしてゆくそうです。ん~~すばらしい。
なるほど、泡盛も國酒なんですね。
泡盛は日本の焼酎の元祖ですからね。

凄いですねえ『國酒』
『國』の字が『国』でないとこが、またイイ! と思うのはのんべえだけ?


実はこの記事でのんべえが一番注目したのが、一番最後の竹下財務副大臣が業界に対し自らの言葉で語ったという一節。
是非ご一読下さい。
いや~いい事言うなあ!
のんべえもそう思いますよ!
座布団3枚くらいあげたいです。
今度の選挙、やっぱ自民党に入れよっかな・・・(いやいやそれは早計か)


ところで、竹下財務副大臣って竹下登元総理の弟さんなんですね。
さらに竹下総理の生家が造り酒屋だったて知りませんでした。(勉強不足です。)

調子に乗ってウィキペディアで調べてみると、造り酒屋出身の偉い人って沢山いるんですねえ。
  ウィキペディア⇒⇒⇒ 【造り酒屋出身の著名人一覧】
麻生さんも見方によれば酒屋の孫っ子ということか・・・・
ビックリ!です。 
さすが地方の名士が揃っておられるんですね。
なのになんで日本酒業界はこんなに衰退するのか?

ところで竹下財務副大臣!
民主党政権になったら民主党に移ってでも約束を守ってくださいねー。
ホント、お願いしますよぉ!



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by sakenihon | 2009-06-21 16:50 | 日本酒が抱える問題  

「おみやげ」と日本酒

『江戸の旅文化』(神崎宣武著/岩波新書)の中に「みやげ」に関する記述があります。

「おみやげ」という言葉の由来については、いろいろな説があるようです。
発生の起源も一つではないようで、定説として一つに決まるものでもなさそうです。
しかし、一般庶民の中で現在のようなイメージの「おみやげ」が発生し始めたのは江戸中期以降のようです。
『お伊勢参り』などの”旅”が発達するにしたがって、現代の旅行情報誌のような瓦版も発行され、各地の見どころ、グルメ情報、名物情報などを提供するようになったそうです。
そのような流れの中で、次第に現代のような「おみやげ」の習慣が育っていったようです。

そのような「みやげ」の原初的な由来としては『宮笥(みやけ)』とするのが神崎氏の立場です。

”笥”という文字は”け”と読み、古代日本での食べ物を盛る器、つまり食器の意味だそうです。
したがって『宮笥(みやけ)』”神様から授かる器”を意味するそうです。

現代でも神社へ参拝した際には「御神酒」を授かります。
これは略式の「直会(なおらい)」であって、いいかえれば「神人供食」であり、お神酒を介する”神”と”人”との契約の成立儀式です。
「御神酒」を授かることによって神からの”ご利益”=”おかげ”を授かることになるわけです。

現代であれば御神酒を小瓶に入れて持ち帰り、家族に分け与えることも可能ですが、江戸時代はそうは行きません。
したがって、”おかげ”を授かったという”証”だけを持ち帰ることになりました。
その証というのが、御神酒を授かった時に使った『盃』であるわけです。
その『盃=宮笥』”みやげ”の原点であるということなのです。

やはり御神酒は日本酒の原点なのかもしれませんね。
そして日本酒はいろいろな場面で日本文化を形造ってきたものです。
日本酒とキリスト教のワインが比較されることがあります。
しかし、私は日本文化にとっての日本酒はキリスト教の『十字架』と比較すべきではないかとさえ思うのです。それほど重要なツールなのではないか?と・・・・
なにせ、”契約”とか”誓い”の道具となるのですから。

こんなことをグタグタ考えていましたら、我が家にも『盃』が一つあることを思い出して、飾り棚から引っ張り出してきました。
「おみやげ」と日本酒_f0193752_18563766.jpg
13年ほど前、大阪勤務時代に生まれた娘のお宮参りを,奈良の「春日大社」で行いました。
その時に御神酒を頂いて、その盃を紙に包んで持って帰ったものです。
盃の表には春日大社を現わす”藤の花”、裏には「春日大社」の刻印もあります。
「おみやげ」と日本酒_f0193752_19151233.jpg
この盃が正に”おみやげ”の原初の形だったことを、13年も経ってようやく理解しました。
今更ですが、すごく有難く思えてきました。

今夜あたりはでっかくなった娘にお酌でもさせて、この盃で一献やってみますか・・・・



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by sakenihon | 2009-04-20 19:16 | 日本の歴史  

「武家の文化」と「庶民の文化」

先日、江戸時代の武士階級は大変だった~~という話題でしたが、これに対しての一般庶民(町民・農民)はどうだったんだろう?ということも考えてみました。

テレビの時代劇のように、悪代官だの悪徳商人だのが横行して、庶民にとっては大変住みにくい時代だったというのは、どうも違っていたのではないかな?と思うようになりました。
江戸期の武家社会は”悪徳代官”をのさばらせるような甘い社会ではなかったように思うのです。
なにしろ何かあったらお家断絶・取りつぶし・切腹なわけですから、現代の政治家や官僚や特殊法人に対する規制よりもずっと厳しかったと思います。

これに対して農民は制度上では、生まれた土地から勝手に移動することも許されず、職業選択の自由もなかったようですし、生かさず殺さず働かされて一生を終えるという辛い人生が庶民の姿だったようなイメージもありました。
しかし、それも江戸の初期までで、中期以後は徐々に変わっていたように思います。

農業の発達、収量の増加、経済・流通の発達などの影響で年貢米以上の収穫が得られたり、稲作以外の副業で現金収入を確保できる地域が多くなってきたようです。(地域によって例外もありますが)
たとえば、酒造の杜氏制度もそのような副収入の一つと言えるでしょう。

そのような流れの中で”タテマエとホンネ”を使い分ける余裕が生まれたようです。

わかりやすい例が『旅』です。
江戸期の庶民には勝手に旅をすることは原則として許されてはいませんでした。
しかし、例外として『お伊勢参り』や『善光寺参り』など宗教的に認められた旅行はあり、事前に庄屋などを通して届けておけば許されたそうです。
たとえば東北地方からのお伊勢参りとなれば2~3か月かかったでしょう。かなりの長旅となりますが、それでも可能でした。(ただし、経済的にも一生に一度がやっとでしたが・・・・)

『お伊勢参り』『善光寺参り』などの宗教色は”タテマエ”の理由であり、”ホンネ”では物見遊山の旅行だったようです。途中の名所に寄ったり、江戸や大坂、京都などを観光したりしながらの旅行です。

先日の江戸東京博物館で歌川広重の『東海道五十三次』が特別展示されていました。
『東海道五十三次』には庶民の旅の風景が多く残されています。
その中の一枚です。(クリックで拡大できます。)
「武家の文化」と「庶民の文化」_f0193752_095696.jpg
とある宿場町の旅籠の前で二人の旅人が女たちから強引な客引きをされている絵です。まるで現代のキャバクラかぼったくりバーのようです。

次の絵は旅籠の中の様子です。
「武家の文化」と「庶民の文化」_f0193752_0253871.jpg
左側の部屋では寝転がってキセルを加えている男客へ飯盛り女(めしもりおんな)が食事を運んでいます。
そして、右の部屋では女たちが鏡を見ながら化粧をしています。これは娼婦に近い飯盛り女の接客前の風景だそうです。
各旅籠には飯盛り女として食事などの世話をしながら、夜は娼婦として働く女性がいたそうで、男性客にとっては旅の楽しみの一つだったのです。 『お伊勢参り』の”ホンネ”部分の一風景です。

こうして、伊勢にたどり着いた旅の一行は『御師(おんし・おし)』と呼ばれる伊勢神宮公認旅籠に出迎えられ、数日の間は神楽や宴会、内宮・外宮参りなどすべて御師によって一生に一回の大歓待を受けるのです。
このときの食事は”十の善”まであるような豪華なもので、山海の食材が朝に夕に並んだそうです。

御師の館は伊勢神宮の周辺に200~300軒もあったそうで、日本における初めての旅行総合業でありました。
多くの宿泊客を一度に風呂に入れ、食事をさせるために、『大浴場』が生まれたのも、現代のような宴会の風俗が生まれたのも御師の館から、との説もあります。

また、日本人の旅行に欠かせない『お土産』の起源もこのようなお宮参りに関係があるようで、『おみやげ』の”みや”=”宮”だそうです。


脱線してしまいましたが、家格や規律、武士道などに縛られた武家社会とは随分違って、江戸期の庶民は”タテマエ”と”ホンネ”を巧みに使い分け、結構伸び伸びとした部分を持っていたように感じます。

現代の日本人も、気真面目でお堅い部分と、羽目を外すと”無礼講”も許されてしまうような柔らかい部分を併せ持っているようですが、それは江戸期の武家社会文化と庶民の文化が明治期以降混然となって形成された文化なのかもしれないな、と勝手に解釈している今日この頃です。



『おみやげ』とお酒も関係が深いものだそうですので、『おみやげ』についてはまた後日。

参考文献 『江戸の旅文化』 神崎宣武著 岩波新書


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by sakenihon | 2009-04-19 01:31 | 日本の歴史  

今も昔も”宮仕え”はつらい!

先週行った『江戸東京博物館』で感じたことです。
江戸時代は”士農工商”の階級社会で武士階級が農民や町民階級を虐げていた時代、と数十年前に中学校の社会科で習ったように思います。
しかし、そうゆう単純なものではなかった?と思うことが最近時々あります。
江戸東京博物館でも同じような印象をがありました。


【大名の格式】

大名の格式というコーナーが印象的でした。
「大名」と一口にいってもピンキリだったようです。
その格式の差が表れるのが江戸城で将軍に拝謁するときの「待合室」だったとか・・・
格式によって待合室が7段階以上に分かれていたそうです。

大廊下の上之部屋  ⇒ 御三家・御三郷(田安家・一橋家・清水家)
大廊下の下之部屋  ⇒ 金沢・前田、鹿児島・島津、越前・松平 など
溜の間          ⇒ 会津若松・高松・桑名の各松平家、井伊・酒井などの家門、順家門。
大広間          ⇒ 溜の間以外の家門の11万石以上の外様
帝鑑の間 ⇒ 城主格以上の譜代大名60家
柳の間 ⇒ 大広間詰めの大名の分家及び10万石未満の外様大名
雁の間 ⇒ 溜の間・帝鑑の間 以外の城主以上の譜代大名
菊の間 ⇒ 無城の譜代大名

待合室だけでなく、将軍拝謁の席次も家格で決まるし、何かにつけて家格で左右されるのが武家の社会だったようです。現在日本のサラリーマンよりもずっと厳しい格差社会だったようです。
さらにそれは努力しても変わりようがない格差で、何もなくて現状維持、何かあったらお家断絶・お取りつぶしなわけです。

大名がこんな感じですから、その家臣にはもっと厳しいものがあったのだろうと想像します。
江戸時代の階級制は士農工商よりも、武家社会の中の階級の格差の方が厳しかったのかな?
江戸時代の宮仕えのほうが今のサラリーマンよりもストレスは大きかったのかも・・・
そんなストレスが積み重なって、松の廊下~赤穂浪士の事件なんかも起こったんでしょうね。

江戸から明治への転換も武家社会の中の内紛が発端であって、庶民の反乱によるものではなかったですね。その意味でフランス革命などとは違いますね。

幕末期の一般庶民は江戸幕府について、どういうふうに思っていたんでしょうかね。
虐げられていたはずの町民・農民の方がけっこう自由で活気ある生活をおくっていたのでは?
というあたりのことを明日続けます。


ところで、上に並んだ藩名を見ますと、有力な藩にはいい酒ができていたんだなあ、
と思いませんか?
やはり、有力大名は米どころを抑えていたので、お酒もいいものができたのでしょうか。
そういえば酒蔵巡りをしていると、立派なお城があった城下町が多いですなあ・・・・




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by sakenihon | 2009-04-16 02:34 | 日本の歴史  

菱垣廻船と樽廻船

先日、桜満開の両国、『江戸東京博物館』に行ってきました。
菱垣廻船と樽廻船_f0193752_19351068.jpg
わたしゃ4~5時間じっくり見学して、それなりに楽しめましたが、

高校生の我が娘にそのことを伝えると、「あそこ、おもしろくねえ~~」とのたまう。

中学校時代に授業の一貫でいったらしいが、中高校生にとっては面白くないでしょうな。


やっぱり、ついつい『菱垣廻船(ひがきかいせん)』の模型に眼が行ってしまいます。
菱垣廻船と樽廻船_f0193752_2027295.jpg
上方と江戸の間の交易を支えていた船です。
船の側面の菱形模様が特徴で、それが『菱垣廻船』の名の由来とか。
菱垣廻船と樽廻船_f0193752_2038428.jpg

上方から大消費地江戸へ酒・米・干物・和紙・織物などの物資輸送に活躍していました。

しかし、積み荷が揃うまで出港を待ったり、途中の港に寄りながら交易をして、

徐々に江戸に向かうという航海だったために、上方から江戸まで数か月間もかかる

ことも多かったそうです。

そのため、せっかくの灘の酒も輸送中に変質してしまうことが多かったそうです。

その後、酒樽を効率よく詰め、船荷が海水に濡れにくい構造のお酒専用船

開発されました。 それを『樽廻船』といいます。

『樽廻船』は酒を積みこんだら、極力寄港せずに江戸へ向かったため一週間~10日ほどで、

気候と風向きが良ければ4~5日で江戸に到着できたようです。
菱垣廻船と樽廻船_f0193752_23434738.jpg


当時もっとも評価が高かったのは灘の宮水(硬水)で造られた灘の酒。

そのお酒が早く、大量に、安定した品質で運ばれるようになったため、日本酒の消費量

はますます高まったと思われます。

現在の灘の酒といえば工業化著しく、味わい深いお酒が少ないことは残念です。



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by sakenihon | 2009-04-12 23:57 | 日本の歴史  

津軽考 脱線また脱線

お酒から離れてしまいますが、日本酒ブログの先輩の酒呑親爺さんから深いコメントをいただいてしまった勢いで、もう少しグタグタを続けさせていただきます。

そもそも、随分前に飲んだ『安東水軍』をいまさら取り上げたのは、最近読んだ本がきっかけでした。津軽考 脱線また脱線_f0193752_21502819.jpg
『歴史人口学で見た日本』という本で、お酒とは無関係の本です。
(速水融著 文春新書)

速水融さんは元慶応大学教授で日本で歴史人口学という
学問を確立した人物のようです。

「歴史人口学」とは”人口”というミクロのデータを積み上げて、
その時代のマクロ的な傾向を推測するもので、よほど
興味がなければ、面白い本とはいえません。


しかし、最終章に面白い箇所があって、それが『安東水軍』というお酒を思い出させてくれました。
 (あくまでも私が面白いと思っただけですが・・・・)


その部分を、できるだけ簡潔に紹介させてください。

【江戸時代以前の日本の家族や人口には3つのパターンのある】

①東日本のパターン
早く結婚する(15歳~)が子供は少ない。
母親は4~5人の子供を産み終ると、あとはまた労働力となって働く。
その後は出産制限を行う。
親と子の年齢の差が少なく、一つの家に三世代~四世代が住む直系家族。

②中央日本のパターン
結婚年齢は比較的遅い(22~25歳)が子供をたくさん産む。
家族は2世代から多くて3世代が住む核家族か直系家族。
特に江戸時代以降には核家族化が進んだ。

③西南日本のパターン (西南日本=東シナ海沿岸)
結婚年齢は遅いが、結婚前に子供を産むことがある。
離婚も多く、離婚と次の結婚の間に出産することもある。
性行動は他の地域と違って、倫理的な観点からいえば自由。
家族の形態は傍系の家族まで一緒に住む合同家族の傾向がある。

【では、なぜこのような違いが生まれたのか?】

速水氏はこの疑問の説明として、それぞれの地域に住みついた人々が元来持っていた価値観や風習などに起因するのではないかと推論しています。
三つの地域の人々とは、
①東日本人――――アイヌ・縄文時代人
②中央日本人―――渡来人・弥生文化人
③南西日本人―――海洋人    
              の三つです。

それぞれに因果関係を論じていますが、東日本人だけに絞ってまとめると・・・

東北日本は稲作も盛んになってきていたが、元来アイヌの生業は狩猟・採集であった。
したがって、一人が生きてゆく必要面積が非常に大きくなるため、人口を増やさない必要があり、そのため出産制限を行い、母親の労働復帰が早い時期になされるような家族設定となった。
(縄文人の人口は四~五十万人の規模だったといわれる。)


つまり、縄文期から平安期の長きにわたって東日本=アイヌ文化ともいえたようです。
それで、河村瑞賢が出てくるずーっと以前から、北海道を起点として、敦賀~琵琶湖~京都の海の物流ルートが確立されていたことも納得できます。

大和朝廷に始まる京都の文化は、大陸から渡ってきた弥生人が造り上げたもののようです。
しかし、京料理の命ともいえる”昆布”が北海道から京都まで運ばれたのは、縄文人(=アイヌ人)の航海術なくしてはあり得なかったし、その流通力があったからこそ奈良期以降の文化(たとえば伊勢神宮の祭祀)が確立したともいえる、という気がしてきました。

現代の日本は世界でも類を見ないほどの単一民族国家といわれますし、私もそんな風に思っていましたが、決してそうではなかったようです。
日本も最低でも3つの民族の掛け合わせによって栄えているということ、現代でもその名残りは目を凝らすと随所の見えることに少し気が付き始めました。

いい年をして、今までこんなことに全く興味がなかった自分が恥ずかしいものです。
『酒』を通して日本を眺め始めたら、本当にいろいろなことを知ることになりました。
これから酒の味にもますます深みが出てきそうです。

できればもう一度青森にいって、鰺ヶ沢~深浦あたりをめぐってみたいと思います。
かつての流通と文化の要衝ですから、きっと面白いお話がたくさん聞けるのではないかと思います。

以上、本日はかなりの酩酊状態での更新です。
御勘弁ください。

酒呑親爺様、
お気づきの点はご遠慮なくご指摘、ご指導ください。
ただし、お手柔らかにお願いしますね。





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by sakenihon | 2009-04-07 01:39 | 日本の歴史  

津軽の忘れもの

お~~~っと、4月になって初めての更新ですねえ~。

最近、春の嵐の吹かれてフラフラしている間にもう4日。 イケませんねえ。

津軽のお酒、一つ紹介を忘れていました。
津軽の忘れもの_f0193752_1354022.jpg
青森県西津軽郡鰺ヶ沢の尾崎酒造さんの『安東水軍』です。

帰路、途中下車した青森駅の売店で購入したものです。

青森から上野までの電車の中でチビチビやったお酒です。

旨味と酸味がしっかりあって、少しとろっとしたような舌ざわり。

いかにも青森のお酒といった感じでした。


いまさら、思いだしたように書くのはわけがあります。

このお酒のラベルが大変興味深いと思うのです。

まずはお酒の名前の『安東水軍』です。
平安時代の奥州の戦乱(前9年・後3年の役)で敗れた安倍氏が津軽十三湊へ逃れ、『安東水軍』となったそうです。
安東水軍は中国(唐)とも交易をし、航法や造船技術を習得し、ますます大型の船の建造が可能となり、その大船で北国の幸を満載して三韓、唐、天竺などと交易を広げへ巨万の富を得たそうです。安東の富は各地の社寺へ寄進され、平泉金色堂の黄金の威容をも支えたとのことです。

ところで、最初に荒ぶる日本海を渡って唐との交易ができたということは、当初からかなりの航海能力があったということです。
どうして?と考えると、函館の『北方民族資料館』で得た知識が浮かびました。
”アイヌ民族”の航海能力です。
津軽の忘れもの_f0193752_13113295.jpg
彼らは小さなカヌーのような船でアリューシャン列島からアラスカまで行っていたそうです。
そのような航海技術が津軽まで伝わっていたとしてもなんら不思議ではありません。
奥州の戦乱自体が、大和系(弥生人系)による北方民族系(アイヌ系)の鎮圧といいます。
安倍氏とアイヌ文化がつながっていて当然です。

安東水軍はアイヌの航海術を基に発達したのだと私は考えます。
さらに、早い時期から北海道~津軽~能登~敦賀への日本海廻りの北前船が発達できたのも、アイヌの高い航海術があったためと考えられないでしょうか。

津軽の忘れもの_f0193752_1464220.jpg

ラベルのもう一つ気になる文字。
『東日流』と書いて『つがる』と読むんですね。
そういえば『つがる』って『トゥガル』みたいな外国語っぽさがありませんか?
もしかしたら、これも元々はアイヌ言葉が低流にあるのではないかとさえ思えてしまうのは私だけでしょうか。

『東日流』という文字にも深い意味を感じてしまいます。
どこから見ての”東”なのでしょう?
中国(唐)から見ての極東という意味の”東”なのでしょうか。
現在の日本地図では辺境ともいえる津軽地方ですが、、かつてのある時代においては、日本列島での最もグローバルな場所であったのかもしれません。

『北前船』の”前”という文字は”表”を意味していたそうです。
江戸初期以前は日本海側が日本の表側という意識だった現れです。
アイヌの航海技術に基づいた北海道から津軽~京都、そして唐、天竺へのルートはかつて日本の表玄関ともいえる交易ルートであったのでしょう。

一本の酒から、そんな勝手な想像に浸りながら飲む酒は、また一段と味わい深く、酔いも深いものです。

次第にまた北前船のことが気になり始めました。
最初は日本の中での米や酒を運ぶ海運としての興味でしたが、もっと深い歴史を感じ始めました。




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by sakenihon | 2009-04-04 22:47 | 日本の歴史